しかし、女子中学生が男子トイレを「素手」で掃除する写真が公開されるとネットでは、
「やる事は悪くないが、素手はねーよwww感染って言葉の意味知ってるのか?」
「どう考えても人権侵害だろ」
「男子便所の掃除を女子にやらせんなよ。常識ねえのか」
などの批判の書き込みが大量に出て騒然となった。
どうしてこのようなトイレ掃除になったのか。坂元中によると、トイレ掃除を推奨するNPO法人「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会」の勉強会に同校のPTA関係者が参加したのがきっかけ。感銘を受け、トイレ掃除をしたいと提案してきた。
このNPO法人が推し進めるトイレ掃除は各地の学校で行われている。村井嘉浩宮城県知事も県内の学校でトイレ掃除に参加したというニュースを知り、実施に踏み切った。
男女混合も含め数人単位のグループ分けをして一斉に校内のトイレ掃除を始めた。どのグループがどこのトイレを掃除するかはランダムにしたために、男子トイレを担当することになった女子生徒もいた、という。】・・後略
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昭和の昔水洗ではなかった時代、糞尿人糞は農作物の貴重な肥料源であったので、学校で出たものを学校の畑に樽に入れて担いで持っていった。(日本全国とは言わないが当地では)
もちろん洗剤を使った掃除は禁止であるし(堆肥のために)水を少しかけこすった(亀の子たわし;商品名)で、・・・目的は野菜を育てようという食料供給のためであった。
その頃体験した団塊の世代も定年退職にて学校を「おさらば」したのであろうが、次の世代は、もはや食料のためということから解き放され、またいち早く水洗のトイレになったのも学校が一番はやかった。
生まれたときから水洗トイレが当たり前の先生や親にとっての『トラウマ」は、食料になる農産物に対しての「安全安心」という、無農薬が体に絶対にいいのだという志向にもあらわれているのか。
このことで「有機肥料」になるという、はるか昔からの「稲作」のルーツをもって生き延びてきたことに、「水に流してはもったいない」ことが「無意識のトラウマ」として働いているのか。
こういうことは牧畜が主で生き延びてきた民族をルーツの人々には「全く理解されないことであろう。
ただ、それがどうして「素手」で、というのがひっかかる。がこれが『目的』らしい。
「汚い」ものを「素手」で「掃除」すると「高揚」するということらしい。
この親達の達成感を子供達に共有させたいという「ある種」の考えであるが、
自分の赤ちゃんのオムツを替えるときに手伝った「男」たちにとって、また「母」にとっては、自分の分身であるものに対しては「汚い」との感情は浮かばないはずである。
日本人の好きな精神的な鍛錬としての「道」がある。
形から入るとしての「素手掃除道」なのか、また清く正しく美しくの「素手の道」なのか。日本人の「魂のある部分」を刺激する「手の素」なのか。

ただ「クリネックス文化」といわれる欧米の行き過ぎた「あらゆる除菌防臭防菌商品」が開発されて彼らの生活パターンがある。そのことを進んだ文化的なこととして取り入れ、今現在の日本の家屋住居には「臭い」ということを排除しようという商品で満ち満ちている。それが日本の世代間の嗜好ギャップにもなっている。
もちろん「家の中でタバコを吸う」なんてことは、「とんでもない非文化的な行為」として、「非難の的」とされてきている。
もう少ししたら「タバコ道」なることで「表で吸う人」を「表タバコ道」裏のひとは「裏たばこ道」なることになるだろう。なんてね
