市民 | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

「市民感覚」という言葉は「中流意識」という言葉と同じぐらいおかしいものはない。
日本の場合ベトナム戦争の頃の「ヒッピー」から「フラワーチルドレン」のアメリカの若者の反戦運動から発生して、そのまねたものから市民運動を展開した。
「やわらかく体制に反対するもの」とかの時に使い、自身が「その意識を感じた」時に自分に対して、自分は右でもないような左でもないようなアバウトな「反体制」というものらしい。
その「村民」でも「町民」でもない「市民」はもともとローマ帝国に発している。
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 【ローマが小さな都市国家だったとき、「ローマ市民」とは「ローマ軍の兵士」を意味した。とは言ってもプロの軍人ではない。ふだんは畑を耕す農民で、戦争の時だけ出動する。基本的に、従軍できる者(当然、奴隷は除く)はみな名簿に登録され、財産に応じた装備で従軍した。
 
こうした市民=兵士は、政治に参加する権利を持った。これが「市民権」である。
 宿敵カルタゴとのポエニ戦争以来、戦場が海外に移ったことは、ローマ市民の軍役をより長く、厳しいものとした。そのため、多くの市民が従軍を拒否するようになってしまった。将軍たちはやむをえず、退役後に土地を分けあたえるという「アメ」を使って貧民から志願兵を募るようになった。

「市民=兵士」という原則が崩れたことで、ローマ市民権は「重荷」というより「特権」としての性格が強くなった。】・・・・以上コピペ 
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プロの検察とアマチュアの市民は「どちらが正義感をもつ」と究極の選択しても、現在の検察と市民はどっこいどっこいであろうか。叫び
たけしの究極のジャンケン「駅員VSゲロVS酔っ払い」と同じく、こんな組み合わせもあるかも「市民感覚の総理VS検察VS政治家」ドクロ

でも現在の圧倒的な市民とは「テレビしか見ない」人たちを指すのであろうか。それでは
この組み合わせのジャンケンもできる「マスコミVS市民VSインターネット」にひひ

帝国も農村が荒廃し、貴族や富裕層の収入は増大貧富の格差は拡大、それと平行して元老院や民会では汚職や暴力が横行、やがて一部の者は、武力を用いて政争の解決を図るようになる。その後カエサルは絶対的な権限を有する終身独裁官に就任、共和政は徐々に崩壊への道へそしてローマ帝国も滅びてしまうのです。歴史は繰り返すのでしょうかドクロ