

映画の都ハリウッドの有名な看板は1923年に建てられた。この看板のシンボル的景観が寄付により守られたとの記事がでた。
トーキーからスタートした映画産業は。年間日照のもっとも多い西海岸ロスアンジェルスを開拓し、自動車産業に続くアメリカを代表することになった。ついでに路面電車も取り払い、車社会のモデルとしLAを発展させた。
もちろん映画はテレビの出現以前の世界中に向けてのプロパガンダの役目も担っていた。
その移民で成り立ったアメリカ的なものを全世界に伝播することができる、戦略的に利用できるのが映画産業である。その後テレビが出ても、アメリカの映画は発展し続けた。
戦後日本の1960年代の安保の世代が享受した、アメリカの文化を批判的視点でしか見ず、また退廃的なものとして感じていたのも、冷戦時のアメリカ国内での共産主義に対する恐れを表す手段として映画産業を活用し、たくさんのプロパガンダの作品が世に出た。
その後1970年代の冷戦構造膠着状態時に第二次安保全共闘世代が享受した、これまたアメリカ的なものに対して引き続き嫌悪感を持ってしかとらえられなかった団塊の世代。
現在日本の中枢にいる「左的」「右的」な行動も、このアメリカ的なプロパガンダの影響によるものだろうと解説分析されている。
その一番の短所は何かというと、戦後デモクラシー教育を受け、多数決の論理を振りかざすだけで、自立した考えを持てなかったことであろう。その考え方を世界標準と錯誤し「グローバル」という言葉に変えてしまい、自分を失ったことである。
「日本」とは「日本人」とは何かを問い、次世代につなげていくものにとっての、「アイディンティ」をはっきりさせることが現在求められている。
このことを解決できるのは「誰であろうか」

