「存在」は神秘である。
未来永劫、科学とは無関係に、
全くの「謎」である。
「存在者」がなぜ「存在」するかは、
全くの無根拠である。
「存在者」を解体し分析することは出来ても、
「存在」自体は全く謎のままである。
そして、人類はこの<不条理>を受け入れなければならぬ。
「ある」ことの不条理を。
この<不条理> 、
私たちが生活する上でありとあらゆるところに、降りかかる。
それは「存在する」ということの象徴のように。
それは例えば、
職場での戦争かもしれない、
学校での戦争かもしれない、
家族との戦争かもしれない、
愛する人との戦争かもしれない、
そして、神との戦争(天災・病気)かもしれない。
それらは全くの<不条理>である。
我が子が、ある病んだ者に切りつけられる。
全くの<不条理>である。
その殺戮者がなぜそこまで追い込まれざるを得なかったのか。
これもまた全くの<不条理>である。
そんなこと言ったらすべて不条理じゃないか!
人類はこの不条理を受け入れなければならぬ。
私たちは「無」に対しての不条理としてそもそも「存在」する。
受け入れざるを得ないのだ。
<存在>するということはこれ程までに、
過酷であり、かつ神秘的なことであるのだ。
不条理という暗黒こそが「生」を逆照射する。
暗黒は光だ。
この世は戦争である。
恋人が出来るということは、
その人と戦争をするということだ。
それは家族が生まれるということだ。
かつ、恐れてはいけない、
スターウォーズの勃発を。
●恋愛論2(スターウォーズの勃発 )
この戦争という<不条理>を、
人類は受け入れなければならぬ。
ボクの中に戦争はあるし、
あなたの中に戦争があるはずだ。
外側の戦争はその象徴にすぎない。
ただ、それはホントウに「神秘的」なことなのだ。
分かっているのか?
戦争があるから、すばらしい音楽も、絵も、踊りも、
文学も、恋愛も、家族も、・・・
それらのものはすべて
僕らの中の戦争をうたっている。
<不条理>なくして芸術はない。
<不条理>は宇宙の芸術だ。
否、宇宙こそが無に対しての不条理なのだ。
分かっているのか?
平和が訪れるとすれば、
それは自分の内側に訪れるべきだ。
そこには<戦争=芸術=言葉>は存在しないだろう。
それは本当に寂しいことなのだろうか。
それとも、、
戦争や病気で無惨に殺されまたは苦しんだ人達、
愛する人を不本意に奪われた人達、
そして隣人をコロした人達、
そして今なお、大殺戮の真っ只中にいる動物達、**
ボクは祈る。
<存在>の神秘に。
備考※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
>そして今なお、大殺戮の真っ只中にいる動物達
だからと言ってボクは菜食主義者にはならない、
菜食主義者は僧侶のようだ。
ボクは僧侶にはならない。
牛も豚も鳥も、鯨も、、美味しくいただく。
美味しくなかったらそれなりにいただく。
だからと言ってボクはそちら側にも開き直らない。
コンビニに弁当がぎっしりと並んでいるのは、
まさに大量虐殺の末に違いない。
有り難う。