祈り | エニアグラムと哲学のTakkme

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◉9つの性格タイプ論としてのエニアグラム
◉神秘と哲学の両輪

 

「存在」は神秘である。 
未来永劫、科学とは無関係に、 
全くの「謎」である。 
「存在者」がなぜ「存在」するかは、 
全くの無根拠である。 

●『存在論1』(存在と存在者)



「存在者」を解体し分析することは出来ても、 
「存在」自体は全く謎のままである。 

そして、人類はこの<不条理>を受け入れなければならぬ。 
「ある」ことの不条理を。 


 

 

この<不条理> 、 
私たちが生活する上でありとあらゆるところに、降りかかる。 
それは「存在する」ということの象徴のように。 

それは例えば、 
職場での戦争かもしれない、 
学校での戦争かもしれない、 
家族との戦争かもしれない、 
愛する人との戦争かもしれない、 

そして、神との戦争(天災・病気)かもしれない。 

それらは全くの<不条理>である。 
 

我が子が、ある病んだ者に切りつけられる。 
全くの<不条理>である。 
その殺戮者がなぜそこまで追い込まれざるを得なかったのか。 
これもまた全くの<不条理>である。 

そんなこと言ったらすべて不条理じゃないか! 
 

 

 

人類はこの不条理を受け入れなければならぬ。 
私たちは「無」に対しての不条理としてそもそも「存在」する。 
受け入れざるを得ないのだ。 


<存在>するということはこれ程までに、 
過酷であり、かつ神秘的なことであるのだ。 


不条理という暗黒こそが「生」を逆照射する。 
暗黒は光だ。 







この世は戦争である。 

 

 

 

 

 

 

恋人が出来るということは、 
その人と戦争をするということだ。 

それは家族が生まれるということだ。 
 

かつ、恐れてはいけない、
スターウォーズの勃発を。 
●恋愛論2(スターウォーズの勃発 ) 
 


この戦争という<不条理>を、 
人類は受け入れなければならぬ。 



ボクの中に戦争はあるし、 
あなたの中に戦争があるはずだ。 
外側の戦争はその象徴にすぎない。 

ただ、それはホントウに「神秘的」なことなのだ。 









分かっているのか? 









戦争があるから、すばらしい音楽も、絵も、踊りも、 
文学も、恋愛も、家族も、・・・

 

それらのものはすべて 
僕らの中の戦争をうたっている。 

<不条理>なくして芸術はない。 
<不条理>は宇宙の芸術だ。 

否、宇宙こそが無に対しての不条理なのだ。 








分かっているのか? 

 

 

 

 

 

 

 

平和が訪れるとすれば、

それは自分の内側に訪れるべきだ。

 

そこには<戦争=芸術=言葉>は存在しないだろう。

それは本当に寂しいことなのだろうか。

それとも、、









戦争や病気で無惨に殺されまたは苦しんだ人達、 
愛する人を不本意に奪われた人達、 
そして隣人をコロした人達、 




そして今なお、大殺戮の真っ只中にいる動物達、**





ボクは祈る。 






<存在>の神秘に。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

備考※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

>そして今なお、大殺戮の真っ只中にいる動物達

 

だからと言ってボクは菜食主義者にはならない、

菜食主義者は僧侶のようだ。

ボクは僧侶にはならない。

牛も豚も鳥も、鯨も、、美味しくいただく。

美味しくなかったらそれなりにいただく。

 

だからと言ってボクはそちら側にも開き直らない。

コンビニに弁当がぎっしりと並んでいるのは、

まさに大量虐殺の末に違いない。

有り難う。