今日は実は私が最も言いたかった内容です。
そういうこともあり、この新ブログでは2回目にそれに関連する記事を書きました。
私も発達障害について当事者のサイトなどを読みあさりましたし、SNSでの投稿も沢山みました。
そこで一つ気になったことがありました。
多くの方は、「自分が発達障害だから出来ない」というネガティブな思考になっているのです。
これについて、私がここまで長年悩み続けてきた末に診断された当事者として、少し思う所があります。
発達障害、ASDにしてもADHDにしても、これはもともと持っている特性です。
人それぞれ個性があるのと基本的には同じです。
ただ、これらの特性があると、いじめを受けたり、コミュニケーション技能を得る経験が損なわれたりすることで、青春時代に得られるべき能力の習得に問題が生じる訳です。
そのため、確かに特性があることで、自分には出来ないことはどうしても出来てきます。
しかし、その特性について理解すると、じゃあ何で出来ないの?ということになるのです。
逆に出来る人はどういう特徴があるの?という視点でも見ることが出来るようになるのです。
私は面白くないような会話で、何でゲラゲラ笑いながら会話しているかが、理解出来ませんでした。
これは、青春時代に友達にも恵まれて、友達と遊びに行ったり、おしゃべりする習慣のある方であれば、普通にやっていることです。
これを「愛想笑い」というのですが、私の辞書にはそのような単語はありません。
面白いことであれば笑い、面白くないことで笑うことはありませんでした。
しかし、そのことに気づいてから、私もこういうことを自分でもやってみようと思えるようになりました。
医師として生きていくために、苦手なことでも沢山努力して克服してきました。
発達障害によって苦手としていることも、努力次第で克服出来るのでは、と思っています。
そのために、他の人達の行動を観察するようになりました。
その傾向を分析することは、ASD特性の強みの一つです。
今まで苦労して生きてきたのだから、ASDだから出来ない、という風に諦めるばかりではなく、定型発達の人達がやれていることの中で、医師として生きていく上で必要なことであれば、出来るようになるために努力することも大事なことだと思っています。
一方で、自分は出来ない、というより出来る必要のないことは、無理に出来るようになる必要はないと思います。
そういう点で、私は発達障害はハンデだとは思っていません。
発達障害により苦手としていた点も、生きていくために克服出来ることは克服出来るでしょうし、克服する必要のない所は克服しない。
その一方で医師であればこの特性を強みに出来ることもある。
昨日の記事でも話したように、そのことに気づくためにもまずは診断から。
ただ、その後の解釈を誤ってはならない。
発達障害だから周りは自分を優遇して欲しい、という風に一方的に走るのではなく、自分が出来ることを見つめ直し、自分自身に向き合い、自分に最適な環境を求めること、努力出来ることは努力することが大事なのです。