そろそろ自分の過去について少しずつ書こうと思います。

 

誰かの励みになれば嬉しいです。

 

 

私は愛知県と岐阜県の県境にある田舎で生まれ育ちました(決して名古屋ではありません)。

 

中高は実家から歩いて7分くらいの所にある某進学校で過ごしました(地元の方であればそれだけでどこだか分かるかもしれません)。

 

この6年間は本当に真っ暗でした。

 

思い出したくないので内容は言いません。

 

陰湿ないじめを受け続け、勉強も運動も最低レベル。

 

もちろん彼女も出来ず、何の特技もなく。

 

本当に本当に真っ暗な6年間でした。

 

大学受験も模試は常に偏差値40台で、現役時代のセンター試験は800点満点中510点です。

 

未だかつてこれより低い点数で医学部に受かった人は聞いたことありません。

 

もしかしたら史上最低記録かもしれません。

 

 

しかし、ここでは内容は割愛しますが、3浪の末に埼玉医大に合格しました。

 

地元の大学も受験したのですが、結果的には落ちたものの、どうしても地元は離れたかったため、親には大きな負担をかけましたが、念願を叶えることが出来ました。

 

 

過去を完全に捨て、新たな土地で新たな人達との出会いを期待しておりました。

 

しかし、最初の数ヶ月くらいは、少しだけ飲み会みたいなものに参加したりしたのですが、青春時代、対人関係を築くための経験を一切行ったことがなかったため、同級生からも避けられるようになってきました。

 

ごく一部私に近づいてきた人はいましたが、基本的にはずっと孤独でした。

 

このままでは地元にいた頃と同じじゃないか!

 

自分の運命に悲観し、明るい未来が閉ざされた気分でした。

 

しかし、そこで唯一挽回出来るチャンスがあった。

 

それが「勉強して成績優秀者になること」です。

 

 

地元にいた頃、進学校ということもあり、今でもきっとそうなのでしょうが、成績が優秀な生徒は明らかにもてはやされていました。

 

悔しいけど、そんな人達を遠目で見つめ、心の底からうらやましく思いました。

 

これだけ話すけど、高校2年の時、「俺は今度のテストで学年30番以内になってみせる!」と馬鹿みたいに宣言しました。

 

それを聞いた周りは「無理無理」「馬鹿じゃないの?」くらいならまだしも、「本当に30番以内取ったら1万やるわ」とまで言ってきた奴もいた。

 

私は1日6時間勉強した(つもりだった)。

 

それも馬鹿みたいに先生に「俺毎日6時間勉強してるよ!」と言ったら「頑張れよ!」と一応言ってはくれた。

 

結果、成績は学年最下位。

 

周りは私がそんな宣言なんてしていたことなんてとっくに忘れ、誰も興味を示さず、私はもちろん、その結果を回りに言うことは出来ずに急いで帰った。

 

私が経験した屈辱の青春のほんの1ページに過ぎません。

 

 

話しは逸れましたが、ここで成績優秀者になれば、周囲の見え方が変わる!

 

それだけの理由でした。

 

私が大学3年の時に行った勉強は至ってシンプル。

 

とにかくプリントの内容をひたすら暗記。

 

何十回、下手すれば100回以上はプリントを読みまくって内容をプリントの内容のままに覚えた。

 

参考書も読みまくった。

 

理解ではなくほぼ暗記主体です。

 

大学3年でこんなに勉強した人はきっといないであろう。

 

あの1年は本当に一日中勉強していました。

 

 

結果、学年4位。

 

上位5人は掲示され表彰されました。

 

これにより、私が勉強が出来ることを同級生は初めて認識しました。

 

翌年、試験近くになると、私の所に近づいてくる同級生が多くなりました。

 

端から見ればくだらないかもしれないが、私にとって産まれて初めて自分の存在を認められた瞬間であり、その時は嬉しかったのです。

 

結果的には、対人関係スキルが向上した訳では決してありませんでしたので、本当の意味での友人は現れませんでした。

 

 

その後研修医になり、同級生とはそこそこ仲良くなりましたが、人間関係は本当に苦労し続けました。

 

 

そこからについてはまた改めて書こうと思います。

 

 

ただ、私が大学時代に猛勉強して、実際に結果を出したという経験。

 

これは医者になってからも財産となっています。

 

実際に、研修医時代、そしてリウマチ膠原病内科医になってからも、猛勉強は続けています。

 

その過程で多くの患者さんを救い、周囲からの信頼も厚くなり、17年間何とかやっていけた訳です。

 

 

動機は不純だったかもしれない。

 

しかし、こうしないと私は生きていくことが出来なかったのです。

 

結果的には多くの患者さんを救っています。

 

そこに純粋に喜びを感じることが出来るようになりました。

 

それで気づいたこともあります。

 

 

ここまでの内容を読んで、私と直接話しをしたことがある方がもしいたなら、「えっ?普通に会話出来るじゃん」って思ってもらえますか?

 

それであればこんなに嬉しいことはありません。