ここまで少しバタバタしていたので、久々の更新となりました。
昨日から実家に帰省しており、明日埼玉に戻る予定です。
今日の夕は親父で飲みに行きました。
色んな話しをしたのだが、その中でも最近話題となっていることについて、親父と話したことについて取り上げたいと思います。
前回の記事にも書きましたように、親父は典型的な昭和の外科医です。
ここまで、「私の時代は夜も寝ないでずっと働き続けることは当たり前だった」ということは、帰る度に聞かされました。
このように無理によって作り上げてきた医療により、最近の甲南医療センターの専攻医自殺や福岡記念病院の大量退職につながっている訳です。
私が思うに、甲南医療センターの例の院長と親父は完全に同世代で、同じように消化器外科医のようなので、院長のインタビューを聞いていると、基本的な考えは親父と同じだなあというのが正直な感想でした。
その院長が今まさに世間というか、現代の医療現場を生きている若い先生方を中心に強く批判されているのは、言うまでもありません。
そのような今の時代について、親父がどう考えているかを聞いてみました。
まず開口一番言ったのは・・・。
「まず私達の時代は36時間連続勤務なんて当たり前だった」
ハイハイ、それはもう私は何度も聞いているよ。
その後、私がここまで何度も聞いてきた親父の壮絶な仕事内容の話しを聞いた後に、本題についてこう話しました。
「少なくとも私は患者さんに喜んでもらうためにやってきた。そのために必要なことを考えたら、毎日夜遅くまで患者さんの診療にあたり、緊急に自分が対応することにつながるのは必然なはず」
というものでした。
このようなことを話した上で、私は親父に「そのような考えがまさに今の時代では批判されているんだけど」
と話したら・・・
「だから私のような考えは今の時代に合わないのは、もうすでに私は外れた人間になっているんだよ。私が何を言っても時代を変えることは出来ない訳だし」と・・・
もう親父は第一線から退いていますので、今の時代を受け入れるつもりはないようですし、自分で勝手に思っているのだから、好きにすればよいであろう。
結局、今の時代に受け入れられない人は第一線にいてはいけないということですね。
私も親父からすれば「軟弱な人間」なので、親父の言っていることを100%受け止めることは出来ません。
しかし、親父の考えについて一点とても重要なポイントがあります。
それは「患者さんに喜んでもらうため」という点です。
親父、そしてその時代で働く医者は、そのための手段として、奉仕の精神を持って無理してでも患者さんに尽くす、という手段を取っていた結果なのです。
その手段は現代には適合しないかもしれませんが、「患者さんに喜んでもらうため」という医者としての根本的な倫理観については、現代でも当然適合すべきことだと思います。
そのために必要な手段が、自分が無理するか、自分は心身の体調を優先させて、患者さんには当直医にしっかりと任せるなり、チーム体制を強化するなりするか、という違いなだけです。
最近の諸問題において、特に働き方改革がなぜ現場の感覚として違和感があるかというと、結局単純な労働時間の議論だけになってしまい、本質的な「患者さんに喜んでもらうため」にやるべきことについての議論が欠落している訳です。
それに加えて現代の若手医師は、いかに労働環境を整えるか「だけ」で議論が終わってしまっているようにも思えてなりません。
昭和の無理な医療が正しい訳ではないが、「患者さんに喜んでもらうため」に何をすべきか、という基本に立ち返って議論することが、今の時代だからこそ必要なことではないでしょうか。