早いもので、秩父で外来をするようになって6年が経ちました。
私が留学中に、長年秩父のリウマチ膠原病診療を支えていた先生が亡くなりました。
その後患者さんは大学病院を中心に市外の専門医のみならず、市内の整形外科や非専門医の所も含めて、非常に多くの患者さんが別のクリニックや病院に移りました。
秩父はご存じの方も多いと思いますが、埼玉西部にある人口約7万人の市ですが、周囲は山に囲まれており、車や電車で山を超えること自体は可能ではあるものの、アクセスに恵まれているとはお世辞にも言えず、埼玉の中では辺境の地になります。
特に、ただでさえ埼玉県は人口当たりの医師数がずっと全国最下位である中で、秩父の医療過疎は極めて深刻で、どの領域も専門医が極めて不足し、埼玉の僻地医療の象徴といえる場所です。
その中でもリウマチ膠原病領域に関しては、亡くなられた先生が一手に引き受けていた背景があり、大学病院との連携も行えていました。
それでも、大学病院まで車で1時間から1時間半くらい、電車であれば2時間以上かかるような場所です。
当時は秩父の住民達は相当困ったと聞いています。
そこで私は秩父市内の中核病院で、新たにリウマチ膠原病外来の立ち上げに白羽の矢が立てられたという訳です。
初日は患者さんたった1人から始まったリウマチ膠原病外来も、半年以内に元々亡くなられた先生の外来に通院されていた方が次々戻り、6年経った今は、定期的に通院している方は250人程度いて、それに加えて地域のクリニックや病院、院内コンサルトなど、非常に多くの患者さんを対応してきました。
その中でも、私は大学病院の常勤医ですので、当科で入院精査が必要な方は、そのまま大学病院で入院の手配を多くの患者さんで行ってきましたし、さらには大学病院の他の診療科に紹介が必要な場合は、翌日の自分の大学病院の外来と並行して紹介したりしていました。
おかげさまで、この6年間で秩父のリウマチ膠原病診療の顔として、ここまでやっていくことが出来ました。
私自身、第一線で活躍してきた自負もありますし、最新の知見についても多くの知見を得た上で診療を行っています。
それを地域の診療に活かし、結果的に自分だから救うことが出来たと実感出来た患者さんも沢山います。
その過程で、私自身も多くの喜びと共に成長しました。
これからもこの地には、恐らくずっとお世話になると思います。
秩父は行ったことがある方も多いと思いますが、自然や文化が非常に素晴らしい場所です。
この地の医療に貢献し、患者さんを救うことが出来たことは、本当に嬉しいことです。
心から感謝です。