相変わらずご無沙汰になってしまいました。

 

前回記事はシカゴの学会でしたが、その後ブログに書いたように1日だけ留学先のオハイオに行き、その日のうちにシカゴに帰り、その後無事帰国しました。

 

今は全くもっていつもの忙しい日常です。

 

とはいっても、先月までに比べれば多少マシになっていますので、そろそろブログの方も少しずつ書いていきたいと思っています。

 

ツイッターの方は引き続きマメにツイートしていきますので、よろしくお願いいたします。

 

 

さて今日は、私が勤務するある病院およびその周辺地域におけるリウマチ膠原病診療における深刻な実態と、私の切実な悩みについて書こうと思います。

 

 

まず、埼玉北西部、具体的には大きな都市は、熊谷、深谷、行田、本庄のことを言い、これに秩父と小さな町を加えると、人口は約80万人います。

 

リウマチの患者さんは一般的に100人に1人と言われておりますので、単純計算でリウマチの患者さんは8000人いることとなります。

 

さらに、リウマチ以外の膠原病の正確な数は分からないものの、個々の病気は数万人に1人でも、病気の数はそれなりにありますので、最低でも数百人、もしかしたら1000人以上いるかもしれません。

 

そんな中、リウマチ膠原病の内科医はこの地域に何人いるかご存じですか?

 

私も100%正確な数字を把握した訳ではありませんが、これだけは言えるのは、これらの地域の総合病院には内科の常勤医は「ゼロ」です。

 

私を含めた非常勤医も、おそらく全部併せて10人前後ではないでしょうか。

 

開業医の先生も内科は片手以下で、整形外科の先生もリウマチ患者さんの数を考えれば多くはないですし、最近では内科的管理なしにリウマチ診療が困難な状況になってきましたので、医学が進歩するのはありがたいことですが、診療出来る医者や施設に限りがあっては、どうにもなりません。

 

 

私は留学前に行田市にある総合病院で専門外来を5年くらいやっており、そこで埼玉北部の厳しい医療事情について非常に痛感し、帰国したら是非またこの地域の診療に携わりたいという強い希望がありました。

 

私が帰国した時には留学する時に患者さんを申し送った先生がすでに在籍していたため、別の埼玉北部の総合病院で毎週月曜日午前に外来を行うこととなりました。

 

そしてもう一つ、前からブログにも書いていますが、秩父で開業していた唯一のリウマチ専門医が急逝された関係で、秩父にリウマチ膠原病を診療出来る医者がほとんどいなくなったため、私がその地域の総合病院で外来をすることとなりました。

 

あれからもうすぐ1年経ちます。

 

今、私は大学病院とこの2つの病院で外来を行っているのですが、たった1年で外来患者さんは約300人に達しています。

 

こうなることは予想出来ていました。

 

実は秩父の病院の院長はこのことを見通していたため、私のためにリウマチを専門とした看護師さんを非常勤として雇い、人数は多いですが非常に快適な診療を行うことが出来ています。

 

 

問題はもう一つの病院なのですが。

 

実は最初の数ヶ月は非常に暇で患者さんもそれほどいませんでした。

 

しかし、留学前に勤務していた行田の病院の先生が急遽退職し、その結果、私が留学前に診ていた患者さんの大半プラス何人かを病院を変えて再び私が診療することとなったのです。

 

その先生はそこでおそらく200人くらい診療していたと思われますが、その病院にいる他の非常勤のリウマチの先生はもうすでに外来が埋め尽くされていたため、私の所に加え、それぞれの病院に転院となりました。

 

その結果、私の外来はまだ多少入れる余地はなくはないですが、それでもかなり限界に近づいており、また埼玉北部のリウマチ診療が深刻な事態となってきた訳です。

 

たった一人辞めただけでこうなるのです。

 

大学病院でも2人辞めたので、その結果どこも外来がいっぱい。

 

こうして私の患者さんはたった1年で300人に達した訳です。

 

 

実はそこの病院は地域で最も大きな病院ということもあり、患者さんの数がもの凄く多い割に、事務や看護師さんなどのスタッフの人数が少なく、外来診療がスムーズにいかない事態が生じています。

 

先週は患者さんは30人を超え、にもかかわらず看護師さん達は不在のことが多いため、自分1人で色んなことを熟さなければならず、難しい新患や紹介患者さんが増えてきたため、12時までの外来の所を大幅に延長し15時前まで外来をやっており、患者さんも長い方で3時間近く待たせた結果となりました。

 

正直言ってあまり外来環境がよくないので、本音は辞めたいですし、留学前に働いていた病院に戻りたいです。

 

でも、そうなると患者さんはどうなるか。

 

私が診ていた患者さんは数ヶ月間、その先生が不在のため代診の先生が診療し、結果的には病院が変わってしまいました。

 

このことに対して不満を持たれている患者さんは一定数います。

 

「先生はもう辞めないよね」と言ってきた患者さんも何人かいました。

 

結果的には自分が留学してそこを離れたため、多くの患者さんを傷つける結果となってしまったのです。

 

そういうこともあり、この病院を簡単に辞める訳にはいかないのですが、果たしてこの病院でこれから何年も続けていけるか、今のままだと私の気持ちが持ちません。

 

今自分はどうすべきなのか、非常に悩んでいます。

 

 

私が何でここでこのような記事を書いたかというと、リウマチ膠原病内科医はどこも非常に少なく、その結果患者さんも私達も苦しんでいるという実態を、特にその地域の医療関係者や医学部の学生や研修医には知ってもらいたいという想いからです。

 

まあどこの診療科もそうかもしれませんが、その中でリウマチ膠原病も深刻な状態だということ、そしてそんな中で少しでもリウマチ膠原病診療に貢献したいという気持ちを持ってもらうことと、あとは病院の方々もリウマチ膠原病内科医の必要性を理解して欲しいなあと思うのです。

 

 

一つ朗報としては、来年度新入医局員が何と3人入るのです。

 

彼らは間違いなく埼玉の多くの患者さんを救ってもらえることでしょう。

 

1年に2-3人新人が入るだけでもの凄く違います。

 

逆に今の事態、これは事実だから話しますが、私がもし倒れたら埼玉北西部のリウマチ膠原病診療は崩壊します。

 

大げさでも何でもなく、実際にその時間に私の代わりに外来に行くことが出来る医者がいない訳ですから(その証拠に留学前のその病院はその先生が退職して外来を閉鎖した訳ですから)。

 

だからこそ、よく私の体調を気遣っていただけるのはありがたいのですが、体調に気をつけなければならないのは私自身非常によく分かっているのです。

 

辛いですが、これも自分で選んだ道です。

 

あとはせめて外来環境をもっとよく出来るよう、私なりに考えていかなければと思います。

 

いつか埼玉北西部のリウマチ膠原病診療が発展し、多くの患者さんが安心して過ごすことが出来る日を信じて。