全日本女子バレーボールチームは、フィリピンで行われたアジア選手権で見事優勝したそうです。
全日本女子バレーボールチームは、今年から中田久美監督が指揮をとることとなったことは、バレーボールにあまり馴染みのなかった方でも、ご存じの方も多いと思います。
中田監督の体制になり、何人か新しいメンバーを代表に選出し、その采配がここまで見事に決まっています。
その中でも際だった結果を出しているのが、セッターの冨永こよみ選手です。
最近になり、このブログの読者が急に増えましたので、ご存じのない方も多いと思いますので、(前ブログからの方からしてみれば今更なのですが)ここで改めて書きますと、私はもう5年近く前から冨永選手のことを、ずっと応援し続けていました。
存在自体はもっとずっと前の8年前のグラチャンの時から知っていたのですが、5年近く前に生で試合を見て、そこからファンになった訳です。
しかし、その直後にアキレス腱を断裂。長期療養を余儀なくされ、代表に選ばれることもありませんでした。
そんな中、見事に復活を果たし、その復帰戦となった国体で見事優勝。
私は絶対に将来の日本の正セッターになると確信し、本格的に応援することを決意。
しかし、その時所属していたパイオニアは大不振。
結果的には17連敗を含む3勝25敗でダントツの最下位。
さらに、2部リーグであるチャレンジリーグとの入れ替え戦でデンソーに敗れて、チャレンジリーグへの降格が決定。
しかし、その後チームは廃部となった。
当時正セッターで副キャプテンだった冨永選手にとって、あまりにも過酷な試練であり、私はその一部始終を見てきました。
チームの廃部とともに引退する選手が多くいた中、幸いなことにその後冨永選手は、同じ年にちょうどプレミアリーグに昇格した上尾メディックスに入団することとなりました。
しかし、そこでも決して道は平坦ではありませんでした。
最初の2年は控えであり、そして2年目の年にチームは最下位となり、またチャレンジマッチで負けてしまい、チャレンジリーグに降格が決定してしまったのです。
そして私はそれと同時に日本を去りました。
しかし、その後チームの正セッターとなった冨永選手はそんな中でも見事に結果を出します。
リーグ以外の大会であるサマーリーグと国体で優勝。
チャレンジリーグでも優勝は逃したものの、着実に結果を出しました。
そして今年の3月、チャレンジマッチで岡山シーガルズに勝利し、見事プレミアリーグに昇格を決めたのです。
さらに、彼女自身も全日本に選出されたという訳です。
冨永選手は、今でこそ輝きを放っておりますが、ここまでに至る過程で、本当に常人では考えられないような試練の連続だったのです。
私はその中でも特に彼女が辛かったと思われるこの4年あまり、ずっと近くで見てきました。
ただ見ていただけでなく、試合後に出待ちで毎回会って、手紙と差し入れを渡して、励まし続けました。
それは彼女にとって頑張る力になったみたいです。
もっとも、一般市民からしてみれば、バレーボール選手というだけで十分に輝きを放っていると思いますが、実際にその姿を近くで見ていると、実はそれは違うことに気づきます。
冨永選手はここまでに至るのに、本当に多くの試練と屈辱を味わってきました。
これは冨永選手だけではありません。
現在全日本女子バレーボールチームに選出された選手の中で、ここまで何も問題なく、全て順調でスムーズに行った選手は一人もいません。
試合に負けるのはもちろん、怪我やチームの不振、そしてレギュラー争いに敗れたり、代表から外れたりと、今いるメンバーは全員経験しております。
特に今回代表にほぼ初選出に近い、比較的年齢がいっていて、一般市民からはまだ十分に知られていない選手は、それが顕著です。
裏を返せば、その間は日の当たらない場所で地道に努力してきたということです。
さらに、スポーツの場合は、どのスポーツにも言えることですが、輝いている時は試合の時であり、試合で輝く時間は、人生全体の中でも本当に一瞬なのです。
100m走に至ってはたったの10秒前後です。
しかも、必ずしも結果を出せるとは限りません。
それ以外の生活の日の当たらない場所で練習に励んでいた訳です。
結局ここで何を言いたいかというと。
人は輝いている姿ばかり目が行きます。
スポーツ観戦や音楽のライブ、そしてテレビなど。
そこしか実際の姿を見ることは出来ません。
しかし、そこで輝いている全ての人達は、その大半は日の当たらない所にいたということ。
これは絶対に知っておかなければならないことです。
つまり、ここから言えること。
皆さんの中で、今の自分に満足出来ていなかったり、人生思うように行かなかったりで、輝いている人達を見て羨ましく思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、それは輝いている人が特別なのではなく、日の当たらない所にはみんな同じようにいるということです。
輝いている人達は、それを受け入れて、地道に努力してきたのです。
こうこの話しは前のブログから何回も書いてきたから、もう聞き飽きた人もいるかもしれませんが、初めての人もいると多いので、また書かせて下さい。
私はかつて、冨永選手に「何でこんなに苦労して辛い想いもしてきたのに、頑張ってこられたのか?」という質問をしたことがあります。
少なくとも、私が同じ立場なら、どんなにバレーボールが好きでも到底耐えられるレベルではないと思ったからです。
そこで彼女が私に答えたこと。
それは、「応援してくれる方がいらっしゃるから」でした。
私がそれを聞いて、医者であれば自分のことを感謝してくれる患者さんのことを思い出せ、ということに気づくきっかけとなったことを、ここまで何度もブログに書いてきましたが、いずれにしても彼女はこのように、自分を支えてくれる方達の存在を大事にして、それをエネルギーにしてやってきたという訳です。
たとえ日の当たらない場所にいたとしても、決して運命を憎んだり、卑屈になってはいけません。
輝ける時はいつになるか、それは人それぞれですが、誰でも輝けるチャンスはあるのです。
あとは試練をどうやって乗り越えるか。
輝いている人達はみんな頑張ってきたのです。
最後に一つだけ思い出話。
私が留学する直前。
27歳の誕生日を迎えた、私の10歳年下の冨永選手に、私はこう伝えました。
「私は27歳で医者になりました。今自分は今年で37歳になるのだが、それでもこれから留学しようとしている。27歳だったら、まだまだどれだけでも可能性があるよ」と。
彼女の心に響いたと信じています。
そこから彼女の快進撃が始まったのです。
私は日本を離れて遊びほけてしまっています(汗)。
もうすでに10年も年老いているのに・・・。
気がついたらもう完全にアラフォーです。
自分が輝けるのはいつになることやら。
まだ自分の中では全然満足していない。
輝ける、というより「自分が満足いく」ことが出来るようになるのは、もっともっとずっと先になるんだろうな。
もちろん、それでも夢が叶えられれば、幸せなのだろうが。
そんなことでモヤモヤしている時、そして今輝いている人に嫉妬しそうになった時、常にこのことを思い出し、自分の戒めとしている日々です。