群馬大学病院で起きた肝臓手術に関連した一連の問題について、執刀医と教授が初めて遺族と対面し、説明を行ったそうです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170731-00050017-yom-soci

 

あれからもう結構経ちます。

 

前のブログには何度か取り上げたことがあったと思いますが、倫理観の欠如、悲惨な労働実態、杜撰な管理体制、派閥による軋轢と協力体制の欠如といった、日本の医療現場のブラックな部分が起こした典型的な事件だったと思います。

 

その件については、書きたいことが山ほどあるのですが、今日はある一点に絞って書こうと思います。

 

それは、このブログでも前に取り上げた「説明と同意」ということの意味についてです。

 

この件については、時間をかけて話したという説明したという主治医の主張とは裏腹に、その記録自体が乏しいことと、家族の主張の食い違いが生じております。

 

これは極端な例だと思いますが、その「説明と同意」という点について、実はとんでもなく倫理観が欠如した考えを持っている医者が、非常に多いことに気づいています。

 

 

リスクを伴う治療を行う際、そのリスクについて患者家族に説明することは、当然のことです。

 

しかし、問題は患者さんに説明し同意を得たからそれでよし、と思っている医者が非常に多いことです。

 

この一文で私の言いたいことが理解出来ない医者は、おそらく沢山いると思います。

 

実際に、説明した合併症が起こってしまっても、それはしょうがないことであり、説明して同意した訳だからお咎めなしでしょ、ということを、何一つ悪ぶれることなく、むしろ当たり前かのように患者家族に言う医者は、とても多いです。

 

そして、それに対してこっちが説明して同意したのに、患者家族が不満を持つことはおかしいと思う訳です。

 

一般市民の観点からすれば、当たり前過ぎることだと思いますが、如何なる合併症であっても、起こってしまった場合は、責任を持って真摯に対応しなければなりません。

 

合併症は起こらないようにすべく最大限の努力が必要であり、起こってしまった場合は、その対応に尽力することです。

 

しかし、上記のような考えを医者が持っていると、「禁句」を言ってしまうものなのです。

 

具体的には、本人家族が説明を求めてきたら、説明の同意書を見せつけて、「ほら、前に説明したはずだよ。ここにサインもあるし。」という感じに。

 

これが倫理的におかしいことを、学生および研修医の段階で誰も教えることがなく、各診療科に入局して色んなことを一人でやらないといけない時に、回りにちゃんと指導出来る人がいないと、いつまで経ってもこんなことしか出来ずに、大きなトラブルになる訳です。

 

ではなぜこんな医者が多いのでしょうか。

 

それは、医者にとって最も恐れていることは「訴訟」だからです。

 

医者はもっぱら「訴訟対策」に気を取られます。

 

これは、とても大事なことです。

 

というのは、本当は説明したのに、文書の証拠が乏しく、患者家族が十分に理解出来ていなかった場合は、訴訟において医療側は大きな不利となります。

 

なので、こちらもちゃんと文書で記録し同意を得た証拠は必要なのです。

 

しかし、これはあくまで医者がちゃんと義務を果たしたことを、訴訟の際に証拠として提示するだけの目的に過ぎません。

 

患者家族の関心事はそこではなく、合併症が生じて欲しくないと思うのは当然のことであり、説明を聞いたか聞いていないかではないのです。

 

もし文書として説明した記録があって、サインもされているにも関わらず、患者家族が聞いていないと言ってきた場合。

 

訴訟には有利かもしれませんが、ちゃんと分かるように説明出来なかった医者に責任があります。

 

つまり、患者家族が不信感を持ったら、訴訟の勝ち負けではなく、その時点で負けです。

 

なぜなら、医者として患者家族に辛い想いをさせたということは、非常に重く受け止めないといけないからです。

 

その辺の倫理観をしっかり持たないと、説明し同意したから、適当な医療してもいいという発想になってしまうのです。

 

 

「説明し同意を得たからお咎めなし」ではない。

 

単純に同意を得たのではなく、本当に理解してもらうように説明すること、そしてもしもの時は真摯に対応すること。

 

説明し同意を得たかどうかではなく、説明したことを本当に理解してもらったかということ。

 

こういう倫理教育をちゃんと行える医者が増えて欲しいものと思います。