昨日、ふと日本にいる後輩のことが気になり、連絡をしました。
元気にやっているようだが、最近40代の患者さんがここ1ヶ月で2人亡くなったようです。
2人とも私がよく知っている患者さんであり、そのうちの1人は入院中に私が担当になったこともありました。
そして今日、先日記事にも書いた、こちらの病院を見学した時に一緒に診た重症の患者さんも、亡くなられました。
その患者さんも35歳と私より年下です。
一緒に診ていた大学院生の友人にとって、若い人の死はやはり衝撃だったようです。
そこで彼は私にきいてきました。
過去に若い患者さんの死を経験したことがあるかと。
私は過去に直接の主治医として1人、間接的に関わった例として2人、計3人30代の若い患者さんの死を経験しております。
内容は書けませんが、どれも色んな意味で非常に壮絶でした。
あれからもう何年も経ちますが、今でも鮮明に覚えておりますし、今後一生忘れないと思います。
リウマチ膠原病科は、他の診療科に比べると、比較的患者さんの死に直面することが少ない診療科です。
私自身、バイトで行っている老人病院や救急の当直で看取ったことは沢山ありますが、大学病院のリウマチ科で患者さんを看取ったのは、そこまで多くはありません。
実はそこは胸を張れる所で、大学病院は基本的には急性期が専門なので、終末期の患者さんは少ないため、亡くなられる方は少なくあるべきなのです。
たまに、「あそこに入院すると患者さんが亡くなる」と近所の人が噂すると、「それだけ重症を診ているから多くて当然」という言い方をするお偉いさんが病院内にもいます。
確かに当科でも重症を多く受け入れていますが、その割には看取る経験がそれほど多くないのは、少なくとも悪い方向には向いていないんだなと思っており、その点はいい徴候だと思っています。
しかし、それでもやはり難しいケースは存在します。
私が経験した3人の患者さんは、私が直接の主治医としての1人と間接的に関わった1人については、実は同じ病気で、その中でも最重症であり、さすがに現代の医学ではどんなに頑張っても救命は困難だったと、今でも思っている症例です。
しかし、残りの1人については、実は私は急変時にしか関わっていないのですが、振り返ってみると、もしかしたら何とかなったかもしれないという症例でした。
私は少なくとも、自分が主治医として、大学病院のリウマチ膠原病科で亡くなられた患者さんについては、全て覚えています。
特に、このように若い患者さんの場合は、自分が直接の主治医でなくても、極めて鮮明に頭に刷り込まれています。
医者として成長していく上で、患者さんの死を重く受け止めることは、非常に重要なことだと思います。
今になって思えば、医療をよりよくしたいとか、自分のスキルを磨きたいとか、医学を発展させたいとか、そういう気持ちは全て患者さんが亡くなられた経験によるものだと思います。
おそらく、ほとんどの医者は、特に若い患者さんの死は衝撃が大きいと思います。
しかし、それでも看取る機会が多い医者は、やはり感覚が麻痺しているのではと思うことはあります。
やはりそれではいけないと思います。
私の場合、自分が経験した看取りのほとんどが老人病院や心肺停止の救急患者さんなのだが、いつも考えさせられますし、さもなければ医療のあるべき姿を考えることは出来ないのです。
患者さんの死を重く受け止める。
当たり前のようで、実は多くの医者が忘れていることだと思います。