神戸で非常に凶悪な殺人事件が起こってしまったようです。

 

詳細はまだ語られておりませんので、何とも言えませんが、こういう事件を聞くと、いつも「愛情」について考えさせられます。

 

「愛情」は「ご飯」と同じだと思います。

 

生きていく上で絶対に必要な物。

 

そして、与えすぎもよくない。

 

また、その「愛情」も相手に伝わらなければ意味がない。

 

ましてや「愛情」どころか回りが「嫌悪感」しか持っていなかった場合。

 

社会生活を送ることは不可能だと断言していいと思います。

 

両親に関しては、両親が子供に望むことを叶えることが「愛情」だと思っている人が多い。

 

本当にそれが正しいのであろうか。

 

医者になりたくないのに医学部に入らされて、その後も留年を繰り返した人達を、何人も見てきました。

 

 

一方で「過保護」もよくない。

 

残念ながら、今の日本は何もストレスなく生きていけるほど、成熟された社会ではない。

 

そんな過保護な親が、自分のわがままを何でも受け入れた場合、社会で生きていくことは到底無理だと思う。

 

 

しかし、さらに言えば、そんな社会においても「愛情」が欠如していることが多い。

 

これが一番の問題だと思います。

 

受け入れられない人間は確かに存在します。

 

しかし、その受け入れられない人間を「嫌悪感」のみで排除し続けた結果、当然社会から離れます。

 

社会から離れた場合、行き着く先は、引きこもりになるか、何らかの精神疾患を発症するか、最悪自殺したり、何かしらの凶悪犯罪を起こす、という事態に発展するのです。

 

人それぞれ、能力には差があると思います。

 

全ての職員に対して等しく「愛情」がなければ、必ず格差が生まれ、そこから様々な問題が生じてきます。

 

ましてや結果第一主義で、何一つ「愛情」がなければ、仕事も長くは続けられません。

 

 

それは患者さんに対しても同じことです。

 

受け入れがたい患者さんも存在しますが、それを一方的に排除することは当然出来ません。

 

案外、そういう患者さんに限って、ちょっと「愛情」を見せて対応してあげると、結構言うことを聞くことも多いのです。

 

 

「愛情」は「ご飯」と同じ。

 

まずいご飯を与え続けるのはよくない。

 

おいしいご飯を与え続けると、おいしいご飯しか食べられなくなる。

 

与えなければ餓死する。

 

毎日同じご飯では飽きる。

 

だから、理想的なのは、定期的に普通の「愛情」を与えて、たまに強い「愛情」を与えることに尽きるのでしょう。

 

「愛情」の種類については、相手の好みを理解することも大事なのだと思う。

 

「愛情」というものをちゃんと理解すれば、精神的に病む人達がもっと減ることは、間違いないと思います。