数日前に、このようなニュースがありました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170706-00000067-asahi-soci

 

実は私の日本の家から非常に近い所にある、老人ホームで起きたことです。

 

食事介助して誤嚥性肺炎で亡くなる。

 

これを介護ミスとして提訴したとのこと。

 

 

このニュースはツイッターでも話題になっていましたが、実は多くの医療介護関係者は、「仕方ないのでは」という考えでした。

 

認知症で介護が必要な高齢者が、食事介護で誤嚥することは、完全に予防することは非常に難しいことは、事実だと思います。

 

多分、これは医療介護関係者において、おおむね共通の認識だと思います。

 

しかし、おそらく家族の認識は、そうではないのだと思います。

 

本当に誤嚥を防ぐだけの最大限の努力をしたか。

 

このケースでは、ベッドの角を過度に垂直にし過ぎたり、食事を早く食べさせすぎたということを、認めているようです。

 

これは、おそらく事後調査により明らかになったことだと思います。

 

であれば、結局これは「仕方ない」のではなく、防ぐ手立てがあった可能性がある、ということになるのではないかと思います。

 

 

ここで私が言いたいこと。

 

それは、最後まで「仕方ない」と考えてはいけない、ということです。

 

一見すると、高齢者、認知症、要介護度4となれば、誤嚥は「仕方ない」と考えがちです。

 

しかし、もしこのようなことが起こった場合、担当者の頭の中に少しでも「仕方ない」という頭があった場合、間違いなくどこかで家族の心情を逆撫でするような「失言」をしてしまうのです。

 

私自身、他の科でトラブルが起きたり、または他の病院でトラブルになり転院してきて私が担当になったりした経験がありますが、(他の病院については患者さん家族の意見のみなので、判断が難しいのですが)、他科に関して言うと、ほとんどがこの「仕方ない」という気持ちから来る「失言」を、無意識のうちに担当医はしてしまっているのです。

 

例えばこのように認知症の高齢者が介護で誤嚥した時、「仕方ない」から来る「失言」というのは、一体どういうものか。

 

もし家族が介護に不信感を持ち、本当にちゃんとやったのかと聞いてきたとしよう。

 

その時に、「ちゃんとやりました。おばあちゃんは年だから誤嚥するのは仕方ないです。どんなに気をつけてもこれは起こってしまうのです。」と一方的に言ってしまったら、間違いなく家族は怒ると思います。

 

ちゃんと謝罪する所は謝罪し、説明する時に詳しく論理的に分かりやすく、そして家族からの質問に対しては簡単に「無理」と言わずに、しっかり検証することと再発防止に全力を尽くすことについての意思表示をちゃんとすること、これが重要なことなのだと思います。

 

 

私がなぜこのことに拘るかというのは、実際に多くの医療者や介護福祉関係者が、その認識を誤ってトラブルを起こしているからです。

 

医療において、最もその誤解を招いているのが、「予め説明済みの合併症」が起きた時のこと。

 

合併症を伴いうる治療や手術の場合、昨日書いたようにインフォームドコンセントを行う訳なのですが、これを「合併症の説明を行ったので、合併症が起こるのは仕方ないことだと分かって下さい」という頭で説明する医者は、現在でも非常に多いです。

 

これは、裁判では確かに重要で、同意書に記載された内容の合併症が起こって何かが起こった場合、医療側に有利となります。

 

ただ、起こる前と起こった時に、「同意書で説明したことが起こったのだから仕方ない」という気持ちで家族に説明すると、いつの間にかとんでもない「失言」をしてしまい、家族が不信感を抱く訳です。

 

これも、昨日の記事の続きですが、インフォームドコンセントが招く誤解だと思います。

 

結局、患者家族としては、合併症が起きることは当然望んでいない訳で、何も起きずに元気になることが唯一の望みなはずです。

 

だから、説明する際にも、起こりうる合併症は説明するが、それに対してどういう風に予防し、起こった時にどういう風に対応するか、ということに重点を置き、起こった時には、間違っても「仕方ない」とは言わず、ベストを尽くすことに専念する訳です。

 

 

かくいう私も、医者になって数年は、そんなことは全然考えずに、形式的に「起こってしまった時の保険として」合併症の説明をし、起こった時も「仕方ない」という気持ちでいたと思います。

 

経験を重ねていくうちに、そういうことに気づいた訳ですが、そういうことを人から教わる機会は、医者になってからはほとんどないので、自分で気づくしかなく、人によってはいつまで経っても気づかない人はかなりいるものと思います。

 

なので、今回はこの事例を元に、この「最後まで「仕方ない」と考えてはいけない」ということについて書きました。