私は前のブログで、「医療現場の環境を変えたい」ということについての記事を書いたことがありました。
私の医者人生、おそらくこれが唯一かつ最大のテーマとなるかと思います。
今私がこうして日々奮闘しているのも、全てここにつながっているのだと思います。
なぜ私はそうまでして「医療現場の環境を変える」ことに熱を入れているのか。
今日は最初にそう思うようになったキッカケについて書こうと思います。
あれは今から5年くらい前になるでしょうか。
あの時、私は大学院で研究に専念するため、大学病院の病棟業務から離れていました。
しかし、今のように完全に臨床の現場から離れていたのではなく、週に1回2つの病院で外来をやっており、さらに2週間に1回外の病院で救急の当直をやり、大学病院でも月に3-4回の病棟当直と、月1回の内科救急当直は行っていました。
ある時、私は週に1回外来をやっている病院から、一人の患者さんを大学病院に入院させました。
内容はここに書くことは出来ませんが、非常に難しい病態で、複数の疾患が深刻な状況で合併しており、日常生活に支障を及ぼしていただけでなく、社会的な面で相当厳しい境遇を余儀なくされている状況で、精神面もかなりダメージを受けていた印象でした。
さすがに外来で診ていくことは不可能と考えたので、大学病院に入院させたのです。
入院して数週間後のこと。
私は大学病院の病棟当直のため、病棟に足を運びました。
その時、あるナースから私に思い切り愚痴を言ってきたのです。
話しによれば、その患者さんは色々と問題行動をしているようです。
病棟スタッフや紹介先の他科外来での暴言や、過度な要求が深刻化していたらしいです。
確かに、私が入院前に数回接した印象では、性格は穏やかな方ではないんだろうなと思いました。
少し嫌な予感はしていたのですが、残念ながらここではその患者さんは医療側からしてみれば、完全に「厄介者」「問題児」としてブラックリスト扱いとなっていました。
しかし、それ以上に身体的にも精神的にも社会的にも、相当苦しい状態だったので、私はその不満に対して直に受け取ることは出来ませんでした。
その後も数々の問題を抱えながら、大学病院を退院し、外の病院の私の外来に通うことになりました。
その患者さんは複数の疾患を抱えており、これらの疾患については、大学病院のそれぞれの専門医が診る形となったのですが、私の専門領域についてはそれほど深刻ではなかったので、自宅近くの私の外来でただ経過観察するだけの目的でした。
しかし、その患者さんは私に、本来であれば大学病院の他科の担当医にたずねるべき私の専門外の内容や、大学病院での今後の方針がどうなっているのかということを、凄くきいてきたのです。
私が関与していない所であり、ましてやここは別の病院です。
そこで私は全てを理解しました。
みんなこうやって無責任に対応してきたんだなと。
その患者さんも言っていました。
ある所に言ったら別の所にきいてくれと言われ、そこに言ったらまたそっちにきいてくれと言われるし、たらい回しにされている感じだったと。
それで、誰に相談すればよいか分からなくなり、不満が爆発し、行く先々で暴言などをしてきたということです。
そこに気づかずに、短絡的にその場の行動などで「問題児扱い」してきた人達。
これでは絶対によくない。
これが私が最初に「医療現場の環境を変えたい」と思ったキッカケでした。
そこで私がその患者さんに取った対応は、とりあえず別の病院のことであり、その場では解決出来ないのだが、来週までに状況を確認するので、来週また来るように伝えました。
その後大学病院に戻りカルテを確認し、大学病院の担当医が考えている今後の方針などについて、後ほど伝えたという形です。
私の外来は診察というよりむしろ「相談窓口」でした。
でも、少なくとも私の外来では、特に問題となるような行動はありませんでした。
その後数ヶ月診た後に、その患者さんの本来の地元の社会環境が目処が経ったため、埼玉を離れることとなりました。
非常に難しいケースだったと思いますが、ちゃんと対応すればもう少し患者さんも救われたと確信した出来事でした。
時を同じくして、また別の「事件」が起きました。
私が大学院に入る前に、ある一人の患者さんを入院していた時に、病棟で担当していました。
その患者さんも非常に難しい病態でありましたが、とてもいい人でした。
入退院を繰り返していたのですが、私が大学院で研究するために病棟から離れてからは、入院した時には別の担当医となりました。
ちょうど上記の一件とほぼ時を同じくして、私はその患者さんが病棟で色々と問題となっていることを知りました。
担当医や看護師の言うことを全くきかず、検査や治療に拒否的になり、これも内容を書くことは出来ませんが、あることをキッカケに、全ての検査治療を拒否することとなり、担当医や看護師の受け答えは一切せず、言葉を発することもなくなったのです。
私は信じられませんでした。
あんなにいい人が何でこんなことになったのか。
私は病棟当直の時に、その患者さんのもとを訪れました。
その時、最近になり一切言葉を発することがなかったと言われているその患者さんは、私を見るなり興奮しながら、「先生!助けて!ここにいたら殺される!」と言ってきたのです。
非常に混乱している様子でしたので、これ以上会話を続けることは出来ませんでした。
しかし、何かおかしいことが起こっていたのは間違いありませんでした。
結局その数日後、全ての治療や検査を拒否していることから、この病院で入院は困難と判断され、私が外来をやっている外の病院に転院となり、専門領域に関しては週に1回その病院の病棟に往診に言って対応することとなりました。
私が最初に診たのは転院した当日でした。
その患者さんはまだ多少動揺していたものの、会話は普通になりたち、大学病院で起こったことと今の心境について、赤裸々に話してくれました。
これは完全に病棟の責任です。
しかし、おそらく病棟にはその認識はなく、患者さんの問題と考えていたことでしょう。
その翌週、彼女の精神状態は私がかつて診ていた頃とほぼ変わらない状態まで回復していました。
体の状態は深刻でしたが、私と会って話している時の安堵の表情は、今後も忘れることはないと思います。
そしてその約1ヶ月後、その患者さんは息を引き取りました。
残念でしたが、最後の1ヶ月間はいい環境で療養できたことは、せめてもの救いだったのかなと思いました。
この二つの出来事が、私の医者人生を大きく左右した出来事だったことは、間違いありません。
そして、そう思っていた最中に、私が大学病院で内科救急当直をしていた時のこと。
救急現場にいた全ての人達が疲弊しておりました。
そして、患者さんへの不満が、窓口や電話対応、そして実際の患者さんに対しても露わになっていたことは、明らかでした。
私が「医療現場の環境を変えたい」と思っていた矢先のこと。
いかに深刻な問題かということを、本当に強く確信しました。
そして私が病棟に復帰し、留学するまでの2年間は、ひたすらそのことだけを考えて、日々奮闘しました。
病棟スタッフに関して言うなれば、私が病棟に復帰した時には、当時の師長さんの尽力もあり、非常にいい方向に改善していました。
ただ、まだまだ課題を実感しており、私はひたすらそこを意識した結果、留学前には自分としては、以前よりはいい方向に改善が見られたと思っています。
しかし、私が留学したことによって、元の状態に逆戻りとなっては困るので、おそらく現在は病棟の第一戦力となっているであろう、私が非常に将来を切望している優秀な後輩に、私の考えは全て伝え、ちゃんと実践してくれていると信じています。
そして最後に。
私のちょっとした意識付けにより、たかだか2年間だけでも、医療現場の環境は変えられたと思っています。
なので、「変えること」は「可能」だと思っています。
日本に戻ったら、本当の意味で本格的に「医療現場の環境を変える」だめに尽力したいと、心から思っています。