私が以前から無意識のうちに行っていたこと。
それは、困難な時こそリラックスすることです。
困難な時というのは、別の言い方をすればスランプという言葉の方が分かりやすいかも知れません。
臨床も研究もそうなのだが。
医学や医療の世界は、専門的な知識や技術を駆使することもあり、時に訳が分からなくなることがあります。
臨床の場合、患者さんが思うようによくならない場合、どうすればよくなるか非常に悩みます。
研究の場合、複雑な実験をしてしまうと、自分が何をやっているかがよく分からなくなり、なおかつうまくいかないと、今後何をすべきかを考えることが出来なくなります。
こういう時、臨床の場合は、次の治療法を模索すべく、色々調べたり、研究の場合はさらに論文を読んだりしたりするわけです。
しかし、困難な時というのは、自分の精神状態が正常ではない場合が多いです。
そういう時、調べたり論文を読んだりしても、頭が混乱して、それがどういう意味かがよく理解出来なくなったりします。
しかし、臨床の場合は苦し紛れに行った治療により、余計状況を把握することが難しくなったり、研究の場合は、研究自体がさらに複雑になって自分でもよく分からなくなったり、前にやった実験のことや、自分が何をやりたいかが、全然分からなくなったりします。
だから、私は困難な時ほどリラックスするようにしております。
どうしようか、あまり深く考えずに、ただボケーっとしているのです。
ボケーっとしていても、無意識のうちにどうすべきか、実は考えているものです。
必死に考えようとするから、頭が余計混乱するのだと思います。
ちなみに私の場合は、リラックスするときはあまり音楽を聴きません。
イライラしている時は聴くこともありますが、こういう状況の時は、音楽を聴くとそっちに気を取られてしまい、アイディアが思い浮かばなくなってしまうような気がしますので。
だから、静かな部屋でただ前を見つめるだけだったり、時に外を散歩したり、そんな感じです。
そういう時、パッっと妙案がひらめくものです。
今までの経験から、必死に頭を使った時にひらめいたことはほとんどありません。
ひらめいた時は、ほとんどリラックスしている時です。
私は勉強する技術より、リラックスする技術の方が大事だと思っています。