先日、京都市が、人生の終末期においてどのような医療を希望されるかという「事前指示書」なるものを、市民に配布することとなったことがニュースになりました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170424-00000000-kyt-soci

 

具体的には、心臓が止まった時に心臓マッサージや人工呼吸器の装着を行うことを希望するかということ。

 

その詳細については、こちらで閲覧出来ます。

http://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/cmsfiles/contents/0000217/217933/jizenshijisyo.pdf

 

イメージとしては、ドナーカードみたいなものです。

 

心臓マッサージや人工呼吸器のみならず、胃瘻や抗生物質の強力な使用、そして輸液に至るまで、様々な項目が記載されております。

 

そして、2ページ目にはその説明が記載されております。

 

どうやら、これを市が配布する方針としたとのことです。

 

このニュースによれば、これに対して反対意見もあるようです。

 

そして、下のコメント欄を見てみると、どうやら賛成意見が多いようです。

 

さて、これについてどう考えるべきか。

 

 

前のブログでも、私は度々この問題について書いてきました。

 

患者さん本人や家族はもちろん、現場に携わる者にとっても、これは非常に重大な問題です。

 

にもかかわらず、多くの医療関係者が、このことに関する本質的な意味について理解していない印象であり、私はそのことに関して、非常に危機感を覚えております。

 

 

まずこの件について、私は賛成か反対かというと。

 

この取り組み自体は私は賛成です。

 

生命の危機に瀕したとき、患者さんがどういう希望を持っていたかを知ることは、非常に重要なことです。

 

急を要する自体は、本人や家族にその希望をちゃんと説明する時間はありません。

 

心臓マッサージや人工呼吸器を絶対にやって欲しくないという確固たる信念があった場合、ちゃんと希望に添うことが出来ますし、家族も納得いくことでしょう。

 

しかし、それがなかった場合、消極的な医療を行った結果、本人や家族は何が何でもベストを尽くして欲しいという希望があったかもしれません。

 

ただし、これを実現するためには、極めて大事なポイントがあります。

 

それは、誰が患者さんや家族に正確に理解出来るように説明するか、ということです。

 

 

ここで、私は心臓マッサージと人工呼吸器装着に関して、実際に多くの医者が行っている方法を、「少しだけ」誇張して説明してみます。

 

「心臓が止まった場合、延命するためには心臓マッサージを行わなければなりません。しかし、心臓マッサージを行うと、胸の骨や肋骨がバキバキに折れてしまい、それが肺や心臓に突き刺さり、胸の中は血まみれになります。呼吸が止まった場合、肺に酸素を取り入れるためには、人工呼吸器を装着するために、のどの奥に太い管を入れます。そのためには眠ってもらうので、会話は出来ず、のどに管が入った状態なので、ずっとのどが痛い状態で気管が傷つくことがあります。さらに肺に強制的に圧力をかけて空気を送り込むため、肺が破裂してしまうこともあり、呼吸状態が悪化するだけでなく、肺に感染する危険性も高くなります。

もしこれらのことを行わなければ患者さんは亡くなりますが、これらのことを行うことで、患者さんはとても苦しい想いをする可能性もあります。

しかし、これらのことを行わなければ、患者さんは亡くなりますが、痛み苦しむこともなく、安らかな最期を迎えることが出来ます。」

 

極端に聞こえるかもしれませんが、本当にこのような説明する医者はいらっしゃりますし、起こることを正確に説明することが義務であるため、この説明自体は間違いではありません。

 

この説明を聞いた時、皆さんはどう思われますでしょうか。

 

おそらく、ほとんどの人は、心臓マッサージや人工呼吸器を希望されないかと思います。

 

 

しかし、ではこのようなケースではどうであろうか。

 

例えば心筋梗塞や不整脈などの心疾患の場合。

 

一時的に心臓が止まることは、病状次第ではあり得ます。

 

そのような場合は、適切な処置や治療により、後遺症を残さず、心拍が再開し、その後も全く以て問題なく、長期的に生きられることもあります。

 

また、重症肺炎の場合。

 

人工呼吸器を装着しなければ十分な酸素を確保出来ないが、抗生剤治療に反応すれば、人工呼吸器を外すことが出来、その後完治して元に戻る可能性もあります。

 

これらの場合は、心臓マッサージや人工呼吸器装着により、説明した合併症や後遺症を残さず、延命ではなくあくまで治療の一つとして、その後も問題なく生き続けることが可能なケースです。

 

しかし、にもかかわらず、これらの治療に対して誇張した説明をしてしまった場合、時として患者さんや家族が誤った判断をしてしまう可能性もあります。

 

結果的には、このような説明を受けて消極的な治療を行うこととなっても、家族が納得することが多いため、大きな問題となることは少ないのですが、果たしてそれがいいのかどうか、私はいつも疑問に思っております。

 

 

ここで私の考えを書きます。

 

そもそも患者さんはなぜ病院に来るのでしょうか。

 

患者さんが具合が悪い姿を見て、家族はなぜ病院に連れてくるのでしょうか。

 

もちろん、よくなって欲しいからのはずです。

 

療養型病院や末期癌の在宅医療の場合は別です。

 

しかし、一般病院の場合、病院に来る唯一の目的は、病気を治してもらうことのはずです。

 

だから、治る可能性がある場合は、心臓マッサージや人工呼吸器装着を含めてベストを尽くす。

 

これは当たり前のことだと思います。

 

ただし、特に人工呼吸器の場合は、ずっと寝たままであることや、のどだけでなく、数多くの点滴がつながれている状態で、現在の日本の法律では外すことが出来ないことは、説明すべきことです。

 

しかし、家族に意向を確認する時間もない、非常に危険な状態であった場合、上述の事前承諾書的な物がなければ、躊躇することなくこれらの処置は行うべきだと判断します。

 

おそらく、現実的にはこのような処置を拒否する判断が出来るのは、肉親がこれらの処置を受けたことにより、見るに堪えない最期の姿を経験したことくらいしか、真に実感することが出来ないと思います。

 

ですので、私は多くの場合は、「命を救うために、やれることは全てやろうと思いますが、例えばかつてご家族の方でかつて心臓マッサージや人工呼吸器がつながれている姿を見て、こういうことはされたくないと思われる方もいらっしゃるので、一応確認したいのです」というような感じに説明することが多いです。

 

 

私の場合は、その病気自体で生命の危機が生じる可能性がない場合は、たとえ患者さんが100歳であっても、急変時に関する確認はしません。

 

もちろん、高齢で予期せぬ急変がたまたま生じる可能性もありますが、ベストを尽くすのは当然のことです。

 

その一方、ほぼ100%助かる可能性がなく、本当に心臓マッサージや人工呼吸器により、患者さんの負担の方が大きいと考えられる場合は、消極的な選択肢を多少促すような説明することもあります。

 

 

つまり、これらの処置の可否についての説明は、病状を把握している医者しか出来ません。

 

ですので、説明を受けずして判断が出来ない場合は、用紙の最後に書いてあるように、医者に相談する。これしかあり得ません。

 

ただ、それをちゃんと説明出来る医者自体が少ないのではないかと、私は思っております。

 

現実的には、末期癌や寝たきりで在宅医療を行っている場合を除いて、上述のように肉親が受けた経験でしか判断は出来ないと思いますので、そうでなければ、命を救うために必要な手段を行い、臨機応変に現場で判断する。結局こういうことだと思います。

 

 

私がこのことについてこんなに拘って語るのは、本当にこの領域については、医療の中でも本当に考えが浸透せず、発展途上の領域だと思っているからです。

 

これからも、私が経験したことに基づいて、この問題については色々と考え続けたいと思っています。