あの選択で良かった(正しかった)のかな…❓と、
心に引っかかっていた事があった。
今は亡き父親が脳疾患で寝たきりとなったとき、胃ろうをつけるよう勧められた。
“勧められた“というと、語弊があるかもしれないけど、
嚥下機能が低下しているため、誤飲によって肺炎を起こすリスクが大きいこと、
高齢者の死亡要因で、一番多いのが誤飲性肺炎だと説明された。
突然の脳疾患。手術になって、命は助かったけれど、寝たきりで認知症も出ている。
年齢的にも今後の状態回復は見込めない…そういった状況がやっと飲み込めた頃、
胃ろうの話が提案された。
当時、胃ろうのことなど全く知らず😦
いわゆる“延命治療“とされていることも認識していなかった。
看護や介護の方に対して、食事の見守り介助や誤飲予防のため、
余計な手間を増やしてしまうんじゃないか…
医師の提言にNO!を言うことへの気兼ねもあったと思う🩺
胃ろうを付けることに同意した。
その後施設に入居して、5年ほど後に亡くなったけど、
だんだんに動けなくなり、自分で出来ることも少なくなり、
まわりに興味を示さなくなってきても、“食べること“には執着をしていたので、
胃ろうではなく、口から食べる選択が良かったのかな…
この選択で正しかったのかな…と、父の死後も時々考えていた。
胃ろうという選択をしたことで、
経験したことも、見えてきたことも、分かってきたこともあって…
“胃ろうを選択した“そのことだけではなく、
“そこからの経験や体験も、全てひっくるめての選択“であれば、
そこにはもう、正しい正しくない…って無いんじゃないか❓
これは失敗、間違いだった、というような出来事だったとしても、
そこから何かにつなげていくことができたら、
それは経験として活かされたことになる。
そんな父での経験があったから、
母とは何かあった時には、どう対処してほしいのか、
まだ元気なうちに、意識確認しておくことができて、
これはほんとうに良かったと思っている😌