もう10年くらいは前…今は亡き父が施設に入居していたとき、
日本に帰国するたびに、母で交代で面会に通っていたけれど、
一度二度ならともかく、何回ともなると話すことが無くて…面会が憂鬱だった。
認知症もあって、私がまだ独身で実家暮らしをしていたときの記憶が
強く残っていたらしく、その頃の調子で話してくる。
仕方ないから、こっちも父に合わせて受けこたえしていた。
“お、今日は仕事じゃないのか?“
“今日は休みだから、大丈夫“
“あぁ、そうか…“
私も父も、そもそもおしゃべりではないし、
父のベッドの横で、お互い静かなままで、穏やかな時間が流れていたな…
でも面会に来てるのに、ず〜っと黙ってばかりでもしょうがない💦
一緒懸命に話の接ぎ穂を探しては…何とか短いやりとりを交わしていた。
↑これが嫌だったんだなぁ。
一度何かで、父が母を責めるような調子で、文句を言っていたことがあった。
まるで自分が責められているように感じて、いろんな感情がごっちゃまぜになり、
父の前でぶわ〜っと泣いてしまった時があった。私が泣いてしまったのを見て、
父があわてて、“泣くな泣くな“と言ってきた。
考えたら父の前で、怒ったり泣いたりするなんて、一度も無かった❗️
自分の感情を、父の前でバンッと出したのって、この時だけだったかも😳
実家にいた時(実家暮らしで楽させてもらってた…にも関わらず)、
どこか居心地の悪さ、窮屈さを感じていたのは、
自分の感情も、本音も出せずに、ずっと押さえ込んでいたからなんだ。
あれでよく鬱病にならなかったなぁ…と思う😧
それがいま、コミュニケーションの課題として、目の前に出てきているんだ。