
●読んでみました方丈記
いまから800年以上前、鴨長明さんは京都の山中に方丈(約3メートル四方)の広さの建物を建て、そこに移り住んだのでありました。
《広さはわづかに方丈、高さは7尺がうちなり》
自分にとって何が必要で何が不要か。それを見定め、自分のために生きる。基準は他人ではなく自分。
《ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみ浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし》。
東日本大震災以降、日本でよく読まれるようになったと聞いておりましたので「すらすら読める方丈記/中野孝次著・講談社文庫」を買って読んでみました。そしたらですね、あれま、方丈記、おもしろいじゃありませんかっ!!
●「財(たから)あれば、おそれ多く」
方丈記はいろんな読み方ができまして、たとえば災害文学。
平安末期から鎌倉初期にかけて、じつはものすごい天変地異に京は襲われております。
大地震や飢饉、竜巻など五大災厄。
世のはかなさを示すそれらの例。
死臭ただような描写が壮絶。
それから挫折文学。
じつは長明さん、たいへんなお坊っちゃまだったんだけど、平安末期の乱世に翻弄され、そして相続争いにも破れる。ところがそれが機転として世の本質を見極めようとしたのでありました。
かくして方丈の広さの家。
《ほど狭しといへども、夜を臥す床あり。昼居る座あり。一身を宿すに不足なし》と説く。
小さくで狭い家にあえて住むことの幸せ。
べつに所有物として大事にする必要はない、つまらぬ仮の住居こそが、盗難のおそれもなく、火災を懸念する必要もうすく、なにしろ安価なのでいつ捨ててもかまわない。
余計な物を所有しない幸せ。
だから欲望の対象とならず、心を労する必要もない。
●「のどけし」とは長閑と書く
十分に時間があり気持ちにもゆとりがあって、のんびりゆったりしているさま。もちろんこれは方丈記のみならず「徒然草」でも理想とする境地とのこと。
じゃあ具体的にどうすればいいかというと、世の中との関係を軽くしておく。
ふむふむ。
ここから先がまたおもしろい。
なにがいいかというと移り住んだ長明さん、とにもかくにも、とっても楽しそうなのである。
ヒマで退屈しているときは麓に住んでいる10歳の男の子(小童)と野山を散歩したりしている。
《(小童が)時々来たりて、あひ訪ふ。もしつれづれなる時は、これを友として、遊行す。かれは十歳、これは六十。その齢、ことのほかなれど、心を慰むる事、これと同じ》
コケモモの実をとったりセリを摘んだり、そして天気のいい日には峰の上までよじのぼって眼下にひろがる風景を堪能したり。
《勝地は主なければ、心を慰むるに障りなし》だそうです。
「風光にすぐれた所に持ち主はないのだから、いくら楽しんでも差しさわりはない」とのこと。
かように還暦を迎えた長明さんは健脚ぶりも立派。
元気なのであります。
そんでもって長明さん、けっこう適当なのである。
《もし念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづから怠る。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし》
念仏がおっくうなときはしないでいいし、読経に気が乗らないんだったらやんない。
これでいいのだ。
だって誰からも怒られないんだもぉーん。
食い物についてはどうか。
《野辺のおはぎ、峰の木の実、僅かに命をつぐばかりなり》
野辺のおはぎ(=キク科の嫁菜)や木の実を食ってれば生きていられるよ。
《糧ともしければ、おろそかなる報をあまくす》
食料は常に乏しいからつまらぬ食べ物もメチャ美味しく感じるぜ。いいですね長明さん、かっこいいです。
●温故知新で新しい風
究極の住居・方丈建築。
《所を思ひ定めざるがゆえに、地を占めて、造らず》
どこに住むと思い定めて住みたいわけではないから、宅地を買ってそこに家を建てるなんてことはしない。
《もし、心にかなわぬ事あらば、やすく他へ移さんがためなり》
そこでなにか心にかなわぬことがあったら、さっさとよそへ移せるようにそう作った。
なるほど長明さん「自分ならではの価値観」がテーマなんですよね。
他人に頼らず自分を確立していく試み。
自分と物との関係、そして他人との関係。
受験勉強が一段落しましたら、たまにはこんな古典でも、いかかでしょ\(^o^)/
温故知新。
また新しい風が吹いてくるかも!!
★宅建ダイナマイト合格スクールHPはこちら!
★宅建ダイナマイト合格スクールfacebookはこちら!
★podcastめざせ歌って踊れる宅建主任者はこちら!