実はわたくしほめほめ上手と言われたことがあります。
自分の自己評価は低いけど、お友だち、知り合った人への評価は高いよ(笑)。みんな素敵!と思うことが多いです。
でも、別にやたらに持ち上げてヨイショしてるわけではありません。その人を良く見て、あれこれ考えてると、
大抵の人は皆優れた点を持っている。
優れてる、という程でなくても良いところはいっぱいあるものです。
一見短所、一見不適切な行動、でも、良く考えたら美点だったり、その行動の裏には深い理由があったり、ドラマがあったりね。
ま、わたしがほめなくても自分で自分を誇っていられるような人は勝手にやってくれ、と、しらーって眺めちゃうときもあるし、正義感に駆られてむちゃくちゃ腹立てることもあるけどね。公人の公的な行為、発言には厳しいところはあるかも。お仕事はしっかりせーよ、と。
狂気の権力者が権力振るうことをほめたりはしませんよ。
10年以上たちましたが、40代前半、自分の人生を振り返り、家事に育児に仕事に、忙しくしているはずなのに、何の成果もなく毎日毎日バタバタするばかり。元気も余裕もなくしてて、私ってこんなにダメダメだったかなー、なんだこの人生、と悲しくなる。うつうつ、ぐずぐずしていた時期がありました。このときは更年期には早すぎると自律神経失調と診断されてお薬飲んだりしたのですが、この後本当に更年期障害にズッポリはまってかなり苦しみました。
誰にも評価されない家事労働、もう、良い中年で子供も三人もいるのに、相変わらす、親とは支配/依存的な関係でアダルトチルドレン気味、義父母、親戚含めて関係者は多い。生活の不安も子供たちのことも夫に相談できませんでしたし、相談したところで、バブル期が去り、状況が悪いなかで仕事をしている夫は、会社と自分のことで頭がいっぱいで私たちには目が向いていませんでした。
ほめられ不足だったのだ
と思います。
しっかりしなきゃ、頑張らなきゃと思いつつどうしても頑張れない。
明るくしつつも泣きたい気持ちでいっぱいになる。
これはほめられ不足だったのだと思います。
誰か私を見ていてくれて、ほめてくれたらいいのに、と、甘えたことを思ってしまいますが、その気持ちは誰にもあって、当たり前の気持ちなのだと、今なら思います。
おばさんだって
ほめられたい!
信仰、という手もあるな、とも思いました。
私は信者ではないけれど幼い頃からカトリックに親しんで育っていたので「神様は見ていていてくれる」という感覚は良く理解できました。
だから神様と会話して、自分を慰める、というのもありました。でも神様は答えてくださらないんですよね。まさに「沈黙」の世界ですから。
それで、私は
自分で自分をほめる
ことにしました。
その日にやることを紙に書き、できたものをチェック。1日の終わりには、やったことを細々思いだし、今日はこんなに働いた!と、思うのです。
もう、「洗濯」だって洗濯物の仕分け、洗濯機にいれる、洗濯する、干す、取り込む、たたむ、仕分けて片付ける・・・。細かく段階を分けてチェック!ホントにたくさんの仕事をしたのがわかります。できなくても、また明日に繰り越しで続ければ良いのだし、死ぬわけでなし。
私すごい、私偉い、今日も良くやった。家族もみんな無事に1日過ごした、と、無事に生きた、ということを目標にしてみたら、みんななんて幸せに生きたことか、とほっとします。
そして、そういう目で世の中を見たら、もう、
生きてる人はみんな偉い!
みんなで今日を越えたね!
と思うのです。
私が色々もやもやして苦しかった頃、世の中は過労死とか、自殺とかがとても多くなっていました。
自分で自分をほめるのだ、と思うようになったきっかけのひとつにほめる達人検定というものがありました。すごく怪しい(笑)。
でも、日経新聞とかニュースのトレンドとかで会社の研修にも採用されてるとか話題になってました。そんなの言葉の言い換えとか小手先のテクニカルな解決法を伝授する、ハウツー検定でしょ、と思ったのだけど、好奇心もあって受けてみました。
果たして、その中身、その哲学はそんな浅いものではありませんでした。
検定創設の動機は新聞やニュースが取り上げるような、上司に部下の「褒め方」を教える、とか円滑な人間関係を築く「言葉使い」とかの技術的なものの伝授を目指しているのではなく、ほめることを通じて自殺者のない社会を目指す、という強い動機を持っていらっしゃいました。親しい友達が、会社でひどい言葉、冷たい扱いを受けてすり減って、自殺してしまった、という辛い体験があったということです。このお友達に、誰かが君の頑張りは見ているよ、これはできなかったけどここはすごいよね、と声をかけてくれてたら彼は死なずにすんだのではないか、という深い悲しみが、みんなでもっと周りの人を見ようよ、自分の周囲の人の良いとこを見つけて生きていこうよ、という生き方の変革による社会の変革を目指したものでした。
ふふふ、私、実はわたくしほめ達検定2級持ってます(初告白(笑))。逆に一級まで受けたらはまってしまいそうなので受けませんでした。でも、社会を生きやすく、人生を豊かに、あなたはあなたで素晴らしい、ということを言葉で伝えよう、言葉で変えよう、というのは素晴らしいことだと思います。もちろんほめられたことじゃない、ということもたくさんあるので、なにもかも無理矢理ほめろ、ということではないのです。ほめられる点を見つける。ダメなら何がダメなのかを考えるというアプローチが大切、ということなのです。
検定は受けなくても、ほめることには何の資格も要らないの。
自分で自分をほめ、あなたの周りの人と心を通わせ、ほめほめで元気を取り戻す。
荒んだ気持ちも、粗暴な行動も暖かい環境があれば少しは和んでいくのでは?
人を変え、社会を変えるにはまず自分を愛して、そして、その愛の気持ち広めていくのが大切。
人が人を変えられるのは
愛の力だけなのだ。
ブログネタとはちょっとずれたかも、だけど、ほめるって自分にも周りの人にも効果抜群。元気になれる、素敵な行為だと思います。