ずいぶんご無沙汰してしまいました。
この間またまたいろんなことがありましたね。
補正予算成立で考えたことを書こうと思っているうちに国会も閉会・・・したとたんの河井克行夫妻の逮捕。こちらは私の地元広島の事件だし、書こうと思っていたのだけど、何だか機を逸した感じ。今後の捜査の進展次第。
自粛解除後の、ニューノーマルの生活を書こうと思った矢先に再びコロナの感染者数が増え始めたり。
日々のトピックスがあっという間に指の間からこぼれ落ち、あるいは車窓を流れる風景のように過ぎ去って、目まぐるしくいろんなことが起こるので、書くのが間に合わないというか、気持ちが追い付かないというか。
なにもまとまらないまま時間がたってしまうので、このさいすべてをすっとばし、今、とりあえず、目の前にある記事について書くことにします。
https://www.bbc.com/japanese/53259716
高校生の時、父が香港につれていってくれました。
当時父親が、時に母親まで、私を置いて良く香港に行っていたので、香港は私にとって一番身近な外国でした。
それで、いつも自分ばかり行くのも悪いから、私にも見せてやろう、と、父がつれていってくれたのでした。
その時のガイドの男性が、自分は親につれられて大陸から逃げてきたのだと、昔の話をしてくれました。
そして、中華人民共和国の、毛沢東の革命は、当時の中国には必要なことだった、と。大多数の国民がたべられない状態で、ほんの一部の人間が富を握っている、それは間違いだ。全員で分けたらなにも持たない人々が、0が3になるならば、10持つ人のものを広く薄く平等に分け与える方がいい。でも、日本には革命は必要ない。10持つ人と0の人がいたとしても大多数の人がそこそこ5とか6とか持っているなら、革命は必要ないよ、と。
でもそれでもこのガイドのおじさんの家族は共産党から逃れて香港に来たのはどうしてかな?と思いました。
それ以来、香港で何かあるとあのおじさんはどうしてるかな?と思うのです。へ
さて、1997年のこの日、私はテレビで見ながら、夫に、一国二制度なんて絶対50年は無理だね、と、話していました。
大好きなHongkongはもうなくなるのだと。
でも、じゃあ、植民地でいいの?
夫はいっそのこと植民地のままの方がいいといってましたが、Hongkongの人たちが中国人としてのアイデンティティを持ちたいと思うのは止められない、でも、先はどうなるか、と、私は思いました。
近年の中国の隆盛を思うと、中国が、23年も香港の一国二制度を良く保ったな、とも思います。
イギリスは元宗主国というメンツからか自由主義国としての誇りと正義感からか、あるいは中国への牽制か、1997年以前に生まれた香港市民には市民権を与えるとまで言っています。
パスポートを二つ持ち、どちらに人生を賭けるか選択を迫られている人々がきっと続々と増えていることでしょう。
香港から流出する人々を日本も受け入れることを考えなければならないと思いますが、日本政府は、中国との関係も大切、とばかりに「中立的立場」を貫こうとするかもしれませんね。
それ以前に、香港からたくさんの人が日本に逃れてきたら、今度は、中国人に占領されちゃう、などと騒ぐ日本人がでてくるかも、と、暗い気持ちです。
香港から逃れてくる人々に手をさしのべてほしいと思います。
以前から日本に於ける難民の認定とか、問題は多いとおもっていましたが、ここでなにも言わない、なにもしないのはどうなんだ?と思います。
義を見てせざるは勇無きなり、という古い言葉が脳裏を掠めます。