成績トリアージ? 留学生の救済について。 | 昆布ジャム YokotaNoo konbu ( Peace@table)

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(一社)日本昆布協会 2015年度昆布大使山中陽子が北海道のおいしい昆布で昆布のジャムを作りました。

留学生への支援は成績上位三割、なんだそうです。

これ、最初に聞いてたら、死ぬほど勉強してたのにー、と思うかな?

まず日本に留学しないでしょ(笑)。
3割にはいる努力と自信があったとしても、実際そういう状況になったら、支援が受けられる人も気持ちがよくはないだろう。

平時に、成績上位3割には褒賞金、というのではない。
暮らせないって言ってるのに、その手に命を握ってるのに、成績で選別とは、非人道的ではないかと思う。

救うのは日本に役立つ人材=成績上位3割?
危機に際して役に立つかどうか?という発想はなんと残酷なことだろう。
せっかく日本に来たのに、君は日本のためにならないから、生活苦は君の成績が悪かったから、といわれてしまうとは。
大体役に立つってどう言うことを言うのだろう?

予算が限られてるからそんなこと言うのだろうか?
アベノマスクにはぽん!っと450億円出たのに。外交に出れば8000億円の援助とかさっと決めてくるのに。
その若者が将来日本と自分の国との役に立つか、というのを、こんな形で評価したら、絶対日本のためにならないと思う。
誰も日本に留学しなくなる。
外交センスとしても不味い。

アルバイト代がなくて生活困窮の学生だって成績はピンからキリまで、大学の偏差値だって様々だと思うけど、救済に差別はない。

おもてなし、とまでは言わないけど、日本への留学生を増やしたい所にわざわざ日本にやってきている留学生を保護しないでどうするのか?

国際社会の一員として、外遊しては素晴らしい言葉を残してくる安倍内閣、「外交のアベ」とは思えない仕業だ。
全く底が割れると言うか、品がないというか、鼻白む思い。
ま、所詮こんなものね、と。

平時に持ち上げて危機に切り捨てる、とは、最低だ!

結局文科省は、今を生きる、一人一人の留学生を数としか見てないのだなと思う。
選ばれる日本を演出するための留学生数。

文科省は意欲と成績を連動させているが、対象となる学生については選択を大学に任せるといっている。
成績が振るわなくても意欲のある学生は大学が救ってくれと言えば支援の対象にするので、柔軟な適応が出きるなどといっているが、それは給付の条件にするには曖昧ではないかと思う。
指導教官、所属する教室に依拠することなく、経済的な要件が満たされれば自動的に一律に救済で良いのではないだろうか?
査定が恣意的にならないとも限らないし、そこに恩やら恨みやらの人間的感情が発生するのもよろしくないし。

もし、どうしても財源が足りないなら日本人学生への支給を5000円ずつ少なくしても文句は出まい。残り七割の留学生を困窮に取り残すより、もらえる額が5000円すくなくなるほうがいやだ、と思える学生たちがいれば、それも辛いことだが。
そして、もっと良いことは、政府が何にお金をかけて、どこに無駄かあるのか、を、もう少し真剣に考えて、若い人を助けようとする姿勢を示してくれることだと思う。
そういう姿を見せてこそ、留学生の心に将来日本に対する肯定的イメージ、良い思い出、ひいては「役に立つ」働きをするものではないかと思う。
しかし、全く、役に立つ、って何だ?
日本こそ、貧すれば鈍する、功利的でちんまいケチ臭い品のない、小役人がふんぞり返り、卑小な根性を露呈して、何が美しい国だ!と、胸苦しく、腹立たしい気分になったのだった。

留学生支援について