お嬢さんが「全米最優秀女子高生」になって、「世界最高の子育て」という著書があるのだとか。

わたしはボーグ重子さんをどういう方か存じ上げなかったのだけど「世界最高の子育て」って、どうなの?
東大とかハーバードに子供を「入れる」ために、みたいなのだったら勘弁してほしい、と、ちょっと腰が引けてたのだけど、そうではなかった。
簡単にいえば、子供の非認知力をいかに育てるかというお話。
そして、そのため非認知力の原動力であるパッションの見つけ方。
そのためには親にこそパッションが必要、というお話だった。

非認知力。
強い心で世界を生き抜き、自分で自分を幸せにする力。
学力、知力、成績や収入のように数字で示せない力。
自分なりの目標を持ち、失敗を乗り越え、努力を続け、周囲とコミュニケーションをとり、自分で自分を幸せにする力を持つ子供に育てるにはどうすればいいか、ということ。
そして、その個人的な幸せが、社会や他者のためになることであればより素晴らしい。
こういう話になるとブログでは収まらなくなりるけれど、まさに、わたしの思っていることと同じだった。毎日を過ごしながら思っていたことに言葉を与えてもらった。
私が考えていたことは非認知力、というものだったのだ、と。
私が結婚して子供をもって思ったことは、威圧感の無い親になりたい、ということだった。
子供の伸びゆく力を阻害しない、無理に矯めない、自分の好みを押し付けない、親。
もちろん、教えなければならないこと、大切に守ってやらねばならないことはあるだろうけど、それが子供を締め付ける事にならないように、また、一貫性、整合性のある親でありたいと、思ったのだ。
わたしは一人っ子で、良くも悪くも大人に囲まれて育った。そして、そのなかでもみくちゃにされたり、ほったらかされたり、過保護、過干渉と放任に振り回されていたので、状況判断や保身に長けた子供になる反面、無意識に、母や父に認められ誉められることを渇望していた、というか、誉められなければ子供として認めてもらえないと思っていた。
パパやママがわたしを好きなのは私が良い子だからだわ、と思っていた。
中学までは何をしなくてもとにかく成績が良かったので、特にそのように思ったのかも知れない。
けれども、中、高と勉強以外の興味が広がったり交遊関係が大切になってくると、度々親と衝突することになった。
学業は相変わらず文系科目はなにもしなくても成績が良かったし、勉強するのも楽しかった。でも英語はいまいち。後は裁縫はさっぱりだけど家庭科の調理実習と美術が大好きで、数学と物理は破壊的にできなかった。体育は昔から苦手で運動能力は低い。ダンスは好き。
そんな私は大学進学について、考えた。
具体的に学問と職業が繋がらないし、どんな仕事があるかも良くわからない。なにをしたらいいかわからないから、一旦社会に出て働いてみて、自分がやりたいことにどんな勉強が必要かわかってから、それを学ぶためにそれを教えてくれる大学、学部に、行くのがいいのではないか?と。
今思ってもこれはかなりよい考え。
真面目な高校生だと思う。
もう大発見!すごくいい考え!と思って親にいったら、猛反対に遭ってあえなく撃沈。
こうなったら、なるべく波風たてず、親がすんなりだしてくれるような大学に進学するしかないな、と思った。それしか家を出る方法はないと思った。
親とぶつからずに、反対されずに、というのはいつもわたしのなかで重大なハードルだった。
実はもう1つ、当時私は戦争になったらどうしよう?!という考えにもとらわれており、何より社会に役に立つ職業でなければ真っ先に戦争に駆り出されたり、捕虜になってもすぐ殺されちゃう、という妄想に苦しんでいた。
承認欲求というよりもっと差し迫った危機感をもって、いた。
編み物が出来たことで、クメールルージュの幹部にセーターを編み続けて生き延びたという、ポル・ポトの虐殺を生き延びた日本人女性の手記とか読んだからかもしれないし、歴史で太平洋戦争の学徒出陣で文系の学生から駆り出されたとか、東京帝国大学ですら文学部は召集されたとか知ったからかもしれない。
みんなから守ってもらうにはファンがたくさんいるアイドルのような存在がよいのかも、と思った。この人がいなくなっては困る、と、敵にも味方にも思われるような貴重な唯一の存在。
でもそれさすがに無理。
戦時に役に立って戦わずにすむのは医者しかない!とすれば医学部だけど、壊滅的に数学と物理がダメな自分はもう死ぬしかない。いや、文系でもなんとかならないか?
経済か法律、とにかく文学部はダメ・・・。
大学に入ってその事を話したら、男子の友達たちに口を揃えて「でも、君、女の子でしょ」と言われた。女子校だったので、兵役は男子という意識がなかった。
戦場につれていかれる恐怖はあっさり否定されたが、なにかが壊れ、なんだか心もとなくなった。なんだか自分がバカな子供のように感じられた。
働いてから自分の道を決めたら?という至極真っ当な考えが出来る反面、狭い、小さい、幼い、自分だけの夢の世界の住人のような子供で、なんというか、アンバランスな子供だったと思う。役に立つこと、といってももっと色々あるだろうに、職業ヒエラルキーの頂点みたいな、医療なら医者、法律系なら判事、検事、弁護士という感じ。危機感を持ってる割には世間知らずだ。でも、この事について親に相談、ということはもうしなかった。
自分の考えを親に知ってほしいという渇望と、絶対知られてはならない、という保身に揺れていた。そして、なにか話してはペチャンコに潰されて撃沈していた。
話が出来る雰囲気、何を話しても否定されない環境が子供の心を育てるのだ、と思う。
母に怒られるのがとにかく怖い。
怒られたり、反対されると、捨てられたような気持ちになって死にそうな気分になる。けれど、だからといってやりたいことはあるし友達とも遊びたいし漫画だって読みたい。漫画禁止だったのだけど、とにかく漫画が大好きで、隠れて読んでは良く怒られた。
こんなに素敵なお話、こんなにきれいな絵。こんなキャラクターでこんなストーリーで、と、親と話せていたらどんなに幸せだったか、と思う。それは漫画だけではない。
高校生の時、旅行好きの父に連れられて香港に行った。私の英語が結構通じて嬉しくなった。何日かいたら、本当に不思議なくらい相手の言うことがわかる。テレビのニュースもなんとなくわかってくる。英語の成績は悪かったけど、ここではそんなこと全然関係ないのだ。
これは、私はちゃんと勉強すれば英語が出来るようになるかも!すっかり嬉しくなった私は帰国してから、父に私英語頑張るわーと言ったら、「まあ、海外旅行にいったら大抵の人間はそういう。で、大抵ものにならないんだよな」と笑った。
私のことを笑ったわけではない、本当のことを言っただけなのだ。ただの世間話。
でも私は、ちょっと海外旅行して、外国かぶれになって、いい気になって、英語頑張ろうっていいながらなんにもならなかった大抵の人間のひとりなんだ、はずかしいこといっちゃったな、と、ちょっとしょんぼりした気分になった。
親になって思うのは、我が家は、私を子供扱いしながら、妙なところで気遣いのない言動、変に大人の仲間にしてるところがあったな、ということだ。
そんなに素直な子供ではなかった。何でも親に話すような子ではなかった、と母はいうのだが、それは母の知りたい話ではなかった、ということだったのだと思う。また、母が重要だと思うことがわたしにはちっとも大切でなかったりしたからだと思う。そして、父も母も聞きたくない話に時間を割いて付き合ってくれるような親ではなかった。
まあ、一昔前の日本の親はそんなものかもしれないが、うちの場合は子供に付き合わない割には子供に対する要求は多かった、ということなのだろう。
反抗的だったといわれるけれど、それはわたしの中の生きる力が母や父とは違う自分を捨てられなかったからだと思うし、わたしの個性も強くしぶとく存在したからだと思う。そして、それで良かったと思う。
でなければお人形になった挙げ句に子供に同じことをしたかもしれない。
独身時代、お茶を習っていたのだけど、その先生が子供を育てるのに、進学、就職、結婚については一切口を挟んだらいけない、少なくとも自分は子供のすることに反対はしなかった、と、言われた。意見はいってもいいし、親の考えを知らせるのはいい、けれども絶対に押し付けてはダメだ、と。
そこには何かあったときに責任とれない、という親の事情もあるし、親のせいにして子供が困難から逃げてはいけないから、という配慮もあるのだけど、内心の自由、意思を尊重するというのはもっとも大切な事なのだと思い、何てエライ先生なんだ!と感動してしまった、が、うちの親は当時そんな考えは鼻で笑ったかもしれない。我が家にはそんな空気があった。
長くなった。
こういう話しは長くなるのだ。
そして、これほど抑圧的な親が、時間と共に変化していき、親子関係も変わっていくのだけど、とりあえず私はこの生育歴で自己肯定感低く、自己評価の低い立派なアダルトチルドレンに成長することになる。
私はそんなにダメな人間か?
頭のどこかでは客観的に考えてそんなにダメではないハズ、という声もするのだけど、意気地なく「わたしの考えなんて、わたしのすることなんて、誰でも出来るし、たいしたことではないよね。こんなこと出来ます!なんておこがましい、恥ずかしい。やらなくて良かった」みたいな声に沈黙してしまう。
「あなたはやれば出来るんだから頑張りなさい」といいつつ、「そんなことやって何になるの?やめなさい」という母の声がする。
どんなに素晴らしいことでも、「ママ、私はなにも出来ないよ」といいたかった。「こんなことやりたくない」と。
どんなにつまらないことでも「ママ、すごいでしょ!見ててね!」と言いたかった。「これ大好き!」と。
そういう、うちなる子供の声に耳を傾けて、子供を育てながら私は自分も育て直してきたような気がする。
続く。
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年齢7掛け説、って聞いたことあります?
豊かな時代に生きている今の人間は体も心も丈夫で若い。生活の厳しさや寿命の短さで早く大人になって(大人になることを強いられて)早く死んでいった昔の人に比べたら、実年齢の7掛けくらいの年齢に当たる、という説。
そう考えるとゾロ目だってまだ40前?!
私の「迷走の40代」を取り戻し、生き直したいと思うのだ。