昆布ジャムの製造販売を仕事にしておりますが、そこに行き着く前には飾り巻き寿司の教室を開いておりました。
その教室を開きつつ、ある日タイ料理の食事会を開いたところ、教えてほしいということで、一度教室をしたのですが、その日の終わりに生徒さんから「で、来月はどうしましょう?」と。
私「え?来月もするの?」
素敵な生徒さまたち「はい♥️」
こんな成り行きで、飾り巻き寿司とともにタイ料理教室も、ほぼ毎月🎵開くようになりました。
実は私タイとのご縁は父親から。
父は旅行好きでよく一人で色々出掛けておりましたが、なかでもタイが気に入って何度も出掛けていくうちにタイ語を習おうと思い立ちますが、今から40年以上も前のこと地方都市にはタイ語を教えてくれる場所も人も、辞書さえ満足なものもありませんでした。
考えた父は地元の大学のタイからの留学生にお願いしてうちに来て教えてもらうことにしました。
うちに来て、父とタイ語の授業をしたあと父がその学生さんに食事を出せというので、私と母は何を食べてもらったらいいのか?と考えるのですが、タイに行ったこともないし、タイ料理のお店はまだ広島にはなかったような・・・。で、何だかんだやっても中華風というか、なんだかわからないような家庭料理をだしたりしましたが、その学生さんが帰国するときにお礼に、と、料理をつくってくれたり、少しずつ本を見たりしてタイ料理っぽくなっていきました。
本当のタイ料理を食べたのは、学生時代。上京した父が有楽町のタイ料理屋さんにつれていってくれました。
はじめて食べたときはその美味しさに驚き、また、その辛さにも驚きました。そして辛い!美味しい!といいながら一生懸命食べてるうちに、きーん、と、耳がなり始め、あっという間に回りのガヤガヤした音が遠くなってい来ました。あわてて食べるのをやめてしばらく落ち着くまで、ドット汗をかいてしまいました。
あとにもさきにもそのときだけでしたが、辛くて?耳が遠くなるというちょっと怖い思いをしたので、それ以来辛いものはほどほどに、ゆっくり少しずつ食べるようにしています。
10代で初めてバンコクに連れていってもらって、父が友達になったのご家族と会い。そのうちの同じ年頃の娘さんとはそれ以来、お互い結婚して、子供を持ってもずっと付き合う友達になりました。
結婚して夫の仕事でバンコクに駐在することになったのは偶然でしたが、喜んだのは父でした。タイの地方都市や、隣のベトナムや、私たちがバンコクにいるのでそこを拠点に色々出掛けていって、楽しそうでした。私の数少ない親孝行になったかな、と思います。
さて、そのタイ料理。タイにいる間は屋台、食堂から一流のタイレストランまでよく食べました🎵うちの近くにたまたま素敵なタイレストランがあり、時々お客様の時などそこにいったのですが、上品な設え、美しい料理は、庶民的なタイ料理のイメージを覆すものでした。
そして、私たち家族のお世話をしてくれた、メイドのラダさん。もう60代くらいのおばあさんで孫共々うちに住み込んでいましたが、とても料理上手。元々は外国人家庭の料理人をしていたとか。日々のご飯、お客様があるとき、家族の状況に応じ、家庭料理からおもてなし料理まで色々つくって食べさせてくれました。
きちんと教室か学校に習いにいかたかったのですが、できないままに帰国したので私はまたまたちゃん習ったことのないコンプレックスに胸がチクチクしながら、でも好きなメニューや、美味しかったもの、料理上手なラダさんの料理を思い出し、今できる範囲の勉強をしながら教室を主宰しております。
なんだか、最近は忙しくて、教室できるかな?と思うこともあるのですが、開けばやっぱり楽しいタイ料理教室。
この年末年始はみんな大好き🎵タイスキ♥️の教室をしました。

何度やっても、いつやっても喜んでもらえる美味し楽しいタイスキ🎵
やって良かったです。
昆布ジャムはもちろん頑張りますけど、タイ料理教室も細々続けていきたいなー、と、思っています。
お近くの皆さま、お時間合えば是非遊びに来てくださいね✨