12月7日。嬉しかったことと悲しかったこと③ | 昆布ジャム YokotaNoo konbu ( Peace@table)

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(一社)日本昆布協会 2015年度昆布大使山中陽子が北海道のおいしい昆布で昆布のジャムを作りました。

続き

気がかりなこと、というのは我が家のうさぎ、うーたんの具合でした。


うーたんは今年の五月から、うちで預かっている息子のうさぎです。

息子のアルバイト先のペットショップでうられていたのですが、病気になったので、売るのはやめてバックヤードでお店のオーナーとアルバイトの学生たちが面倒を見ていたのだそうです。
ところがなんとそのお店が倒産してしまったため、息子が引き取ることにしたのだとか。でも、アパートはペット禁止なので自分が大学を卒業して、動物が買える環境に引っ越すまで預かってほしいとうちに連れてきたのです。

初めてうーたんをみたとき、私の目は釘付け。こんな可愛い子、見たことない!と思いました。
真っ黒で垂れ耳で、ふわふわツヤツヤ、しなやかな手触りで、ぴょこぴょこ動くのです!!(⬅️当たり前(笑))
すでに犬と猫がいたので、夫は嫌そうでしたが、私は、面倒を見るのはいいけどー、ともったいつけつつ、その実すっかり心を捕まれていたのでした。



うさぎを飼うのははじめてで、こうして改めて見ると、犬や猫に比べて無表情なのにまず驚きました。可愛らしいけれど、犬や猫のように笑ったりしません。
(犬や猫は笑います。笑いますよね?みなさん)
その無表情な顔つきを見ていて、ハッとしました。なぜミッフィーちゃんがあの顔なのか!?
あれはまさしくうさぎなのだ!と妙に納得してしまいました。

そして、そのうち、うさぎはツンデレなのだ、ということもわかりました。
「うさぎは無表情なようで喜怒哀楽は激しいです』とfacebookのウサギを飼っていたお友達が教えてくれました。
本当にその通りで、いつも「何か?』みたいなすました顔をしてあらぬ方へぴょこぴょこ跳ねていき、気にくわないことにはダンダンッ !と足を打ち付けて激しく抗議をするくせに、「なでて!』と、顎を膝にのせるようなことをするのです。人に馴れて寄ってきてりします。

⬆️「何か?』とでも言いたそうなうーたんの横にらみ。

そんなうーたんが体調を崩したのは11月半ばでした。急に食べなくなり、出るものもでなくなってしまったのです。

うさぎも診られる獣医さんということで、息子指名によるうーたん掛かり付けの動物病院で検査をしてもらったところ、胃にガスがたまって食べられなくなっている、と。それは呼吸が口呼吸になっているせいでもあり、レントゲンを見せてもらうと肺が白く写っていました。肺のなかに空気が少なくなって水がたまっているということです。
肺炎?
心臓?
もっと悪いもの?

その日から、肺の水を絞るため利尿剤をかけつつ、飲まない食べないことによる脱水症状を緩和するための点滴もする、という綱渡りのような治療が始まりました。

呼吸を楽にさせて、口を、呼吸でなく食べるために使えるようにするために、酸素ハウスも導入しましたが、容態は一進一退、そして、、だんだんと悪くなっていきました。


⬆️ケージごと酸素ハウスの中に。これで呼吸はグッと楽になるはず・・・。

うーたんの状態が悪くなる一方で私の昆布ジャム売り出しの日は近づいてきました。相変わらずアルバイトも続いていて、くまちゃんにカウントダウンを任せて私はうーたん連れて病院に通ったり、日々お薬飲ませたり、無理にでも食べさせようとしょっちゅうハウスの中を覗いておりました。

食べる意欲があってもうまく食べられなくなったうーたんのために注射器でで流動食をあたえるのですが、食べる量が絶対的に足りないので、うーたんはどんどん痩せていきました。

7日、息子に当てたラインです。
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うーたん、今日も跳び跳ねる元気はあって、ご飯をいやがるけど、野菜を少しずつ口に入れてやるとモグモグたべる。疲れるみたいでたくさんはだめだけど、葉っぱの1、2枚は続けて食べられた。あとお薬も飲んだ。手足のマッサージがいいと聞いたのでとりあえず全身、あたま、足を中心に15分くらい撫でたら寝ちゃった(笑)
今日は私が一日いなくて、夕方〇〇〇(末っ子)、夜お父さん、そのあとお母さんという感じで帰宅するの。
なにごともなけらばいいけど、と心配だけど、今朝の調子では今日は持つような気がしてます。
ではでは。
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白状します。わたし、プロマートに午後二時半から四時半までいませんでした。

朝出掛けるとき、うーたんがあまりにぺたんこになっていて、気がかりでならなかったので、お昼の買い物客が一段落したところで、一旦家に帰ったのです。
うーたんは生きていました。
私がハウスの扉を開けると、いつものように、ケージの外に出して、と、前足を戸にかけてきます。そして、外に出すとぴょこんぴょこん、と、その辺りを探検。お薬飲んで、たべられなくなったけど、美味しい野菜をすりつぶした青汁で溶いた流動食を注射器で3本分くらい食べました。
その姿を確認して、また、出掛けたのでした。

コンサートが終わり家に急ぐ私は、あんまり急ぎすぎてバイパスの降り口を通りすぎてしまいました。そして、行きすぎた道を引き返しながら思いました。もう急ぐ必要はないのだ、と。

私と入れ替わりに家に帰った末っ子と夫に見守られ、うーたんはお空に昇っていきました。

コンサートの休憩中に、「うさぎがぐったりしてる、危ないかも」という夫からのラインがあったので覚悟はしていましたが、コンサートのあと開いたら
「今、亡くなりました」とありました。
あやさんの素晴らしいショパンが始まった頃のことでした。

長くなっちゃいましたー。
ごめんなさい。

翌日は良いお天気、私たちは小さく軽くなったうーたんを庭に埋葬しました。
あまり食べなくなってからも、ものすごい反応を示して、一枚、もう一枚、と一生懸命食べたのは、どじょうやさんの力強い野菜たちでした。そのどじょうやさんからお見舞いにもらった小さいニンジンと葉っぱたちを花束にして入れてやりました。



それから三日ほど泣いてばかりで目がしわしわになってしまいましたが、10日は料理教室。
生徒さんに慰められ、みなさんのそれぞれの犬や猫とお別れしたお話をして少し心が軽くなりました。

早いもので一週間がたちました。
今日このブログを書いていて、そんなに泣かずにいられました。
うーたんの可愛い姿を思い出しては涙が出ていたのですが、こうして写真を張り付けて、関係のないみなさんにうーたんを見てもらって、これで区切りになったかな、と思います。

泣かずに、天国で「何か?」という顔をしてぴょこぴょこしてるかなーと、うーたんを思い出すことができそうです。



2018年12月7日、忘れられない日となりました。