2006年辺りからの来し方行く末を書いておりますが、唐招提寺に行ってみたいな、と思うようになったのもこの辺りからです。
というのも、ずっと心に引っ掛かっているある言葉を聞いたからです。
「鑑真が唐招提寺を建てるまで、あと2年」
何のことかと思われるでしょうが、これはNHKの「そのとき歴史は動いた」という番組のなかの言葉です。松平アナウンサーが力のある声でそう言いました。
私は家事かなにかをしていて番組そのものはちゃんと見てなくて、つけっぱなしのテレビから流れてきたこの言葉を耳して一瞬なんのことやら?と思い、そして驚いたのです。
唐招提寺といえば歴史の教科書にある古いお寺。
千年以上も前に唐の高僧鑑真が戒律を伝えるために何度も遭難しながら海を渡り日本にやって来て、そうして建てた、という歴史の中の事柄。
その千年、百年という時間の尺の中にいきなり2年、というとても身近で、短く、慣れ親しんだ時間の長さが現れて、教科書の鑑真像の鑑真さんが「一人の人間として感じられたのです。
唐招提寺が古いとしても、お寺が建つのに千年もかかってるわけではなく、千年前の一人の人生の何年間かの出来事だったということを改めて強く感じました。
千年後には当たり前のようにそこにあるお寺もまだこの世にそれがない時もあったのだ。
調べてみたら、「そのとき歴史は動いた」の鑑真の回は2005年の10月のようです。まだ再就職もしていません。
そのとき私は何を考えて、何を思ってこの言葉に感じ入ったのでしょうかね?
やれやれ、長い。
まあ、一服。
先日奈良で食べた美味しいもの、色々。
(写真はお友だちにもらいました。)

さて、東山千栄子さんと言う女優さんがいました。
35才で女優デビューして大女優となりました。
20代の私に、30代になっても大丈夫!何かやるには遅くない!という頼もしい存在でした。
⬆️東山千栄子さん
30代のときには、女性初の米国国務長官になったオルブライト国務長官と、40才過ぎてから大学の講師になり、当時日本人初、女性初、学識経験者初の難民高等弁務官をされていた緒方貞子さんが私のアイドルでした。
「女性には女性の時があるのです」
結婚し、子供を育て、その後に社会に出た緒方さんの言葉は私を勇気づけました。
私だってまだこれから、と。
何をやるとはわからなかったけど。
「環境に恵まれ、家庭にいる間もずっと勉強を続けられた緒方貞子さんを普通の主婦のように思ってはいけないよ」という誰かのツイッターを読むまでは。
緒方さんの言うような女性の「時」は、普通の女性には無いらしいのです。
結婚し家庭に入り、子供を育て、学校行事や家族の問題に忙殺される女性にはなかなか再度同じフィールドで復帰することは難しいと。
私といえば復帰を目指す元々のフィールド、キャリアさえなかったのでした。
しかしある日、うなだれる私の目の前に燦然と輝く白い髭のおじさんが現れました。
カーネルサンダースです!
彼がケンタッキーフライドチキンを起こしたのは60代だと何かで読み、またまた、私も何かできるかも!という気持ちになりました。
カーネルサンダースの不屈の努力に不屈の妄想が沸き起こります。
でも、なぜそんなに何かできたり、何かになったりしなければならないのか?
なにものでもなくても、何もできなくても、ただ生きる。その事の素晴らしさ、価値にはまだ考えが及びませんでした。
むしろ、子供が小さい頃私は本当に幸せでした。夫の職場が近くてお昼はうちにかえって食べるという会社員にはあるまじき前世紀の遺物のような生活でしたが、赤ん坊の長男と一緒にお父さんを待ってご飯を食べる、その時間がとても楽しくかけがえのない毎日のように思われました。
でもそのときは過ぎてしまった、と、当時は思っていました。
それから、やはり何かになる=社会的に承認される=親に承認される、というような思いが強かったのかもしれません。
しかしながら、今回のアイドルは今までの女優やら、学者、政治家、お役人、士業的プロフェッショナルとはなんだか毛色が違います。
打たれても打たれても、不屈のカーネルおじさんは普通の地道な職業人です。諦めず続ける、という一点で(もちろん優れたレシピと
)傑出した人となったのです。
真似をしても親好みの展開になりそうにはありません。
しかしながら、子供が成長するにつけ、お金も必要になってきます。何かやるのに、商売を始める、というのは不思議なことではないのかも。という考えが、すとーんと天から降ってきました。
そういえば私には、脈々と、怪しい商売人の血が流れているのですが、それはまたいつか。
さて、いきなりインターナショナルブッフェとまでいかなくても、食を生業にしようというのに喫茶店のアルバイトもしたことがなかった私に、これは、「勤めなさい」と、神様がいってくれたような気がしました。そのお店の本店に食べに行ったことがあり、とても美味しかったのも理由のひとつでした。