今年の春は気温がなかなか上がらず、スカッとした春らしい陽気にはならなかった。よって、桜の開花を予想するのが難しかったようだ。私が住む地方都市で桜の標準木の開花宣言が出たのは3月30日(土)だった。例年よりも遅い。4月3日(水)には雨が降って、相変わらずの不安定な天気だった。そして、開花宣言から1週間、遂に桜は満開を迎えた。この日を待ちわびていた。

 6日(土)の午後、曇っていたが毎年行く桜見物のコースに出かけた。まずは市内中心部にある図書館である。ここは数日前、隣接の広場がリニューアルオープンしたばかりだ。きれいに芝生が敷きつめられ、数組の家族連れがお弁当を食べていた。小さなテントを張っているグループもいた。遊具で子どもたちが楽しそうに遊んでいる。遊具の周りや、蒸気機関車を設置している横にも桜の木が並んでいる。桜をバックに、父親が幼児の女の子の写真を撮っていた。昔から桜には子どもが良く似合う。ここはもともと小学校の跡地でもある。

 西川の通りに沿って東に歩いた。駅から続く桃太郎大通りを渡る頃から桜並木が見えてくる。大勢の人が咲き誇った桜の下を散策していた。中には立派な一眼レフのカメラを構えて写真を撮っている人もいた。すぐに気が付いたのは、観光客らしい外国の人の姿が多いということだ。東南アジア系の人もいれば、欧米から来ている人もいる。一人の人もいるが、数人のグループで歩いている人がほとんどである。それぞれの国の言葉で話をしていた。桜を見るのは初めてだろう。桜を見てどんな印象なのか聞いてみたいが、残念ながら言語力がない。

 毎年ここに来ると、美女の像のお尻を見ながら写真を撮っている。この一種の定点観測をやり始めて、もう何年になるだろうか。美女と桜は変わらない。しかし、背後の建物は変わってしまった。以前あった看板屋さんは数年前になくなった。

 橋の上でバーベキューをしている10人くらいのグループがいた。ワイシャツにネクタイをしている人もいるので、勤め先の集まりだろう。桜はそっちのけでバーベキューを楽しんでいた。桜見物が目的なのか、バーベキューが目的なのか。コロナ禍になって以来、見られなかった光景が復活していた。

 30分くらい散策をした後、岡山駅に移動した。今、駅前の再開発工事が進んでいる。駅前広場に昔からあるピーコック噴水も撤去されるため、3月末で噴水の役目を終えてしまった。下の写真は先週撮ったものである。某大学に移設され、オブジェとして活用されるというが、噴水が噴水でなくなって意味があるのだろうか。新しいものができる期待がある反面、人の思いが壊されていく寂しさもある。開発とは何なのだろうか。

 近所の公園の桜も見に行った。隣は中学校である。桜の下で、おばあちゃんが幼児のお孫さんを遊ばせていた。おばあちゃんは走り回っているお孫さんが心配で仕方がない様子だった。

 最近、ふと思うことがある。それは、これから私は何回桜を見ることができるだろうかということだ。こんなことを考えるのは、歳をとったということか。春になると、桜の咲く国に生まれて本当に良かったと思う。できるなら、1年でも多く桜を愛でたいと思いながら今年の桜見物を終えた。

 

 話は変わるが、私の出身地に醍醐桜という有名な桜の木がある。実家からはかなり離れており、私も一度しか行ったことがない。今でこそ全国的に知られていて、この時期になると県外からわざわざ見に来る人も多い。しかし、この醍醐桜、私が子どもの頃はほとんど知られていなかった。少なくとも私は知らなかった。中学や高校時代、醍醐桜の近くに住むクラスメイトが何人もいたが、一度も醍醐桜の話を聞いたことがない。

 もう30年以上前、「ニュースステーション」という報道番組の中に「夜桜中継」というコーナーがあった。全国の有名な桜をライトアップして、生放送で見せるという企画である。当時、私は埼玉に住んでいた。偶然「ニュースステーション」を見ていると、私の出身地の名前が出たので驚いた。そこで初めて醍醐桜があるのを知った。以来、桜の名所になったという訳だ。テレビの力は凄い。

 樹齢は千年とも言われ、樹種はエドヒガン。名前の由来は、隠岐の島に流される途上の後醍醐天皇が、この桜を愛でたという伝説によるものだ。多分、作り話だろう。しかし、この桜の見事さは息を飲むものがある。かなり田舎で辿り着くのに苦労するが、一生のうちに一度は見る価値がある桜の名木であることには間違いない。