私が住む街で今、市内中心部の商店街にある時計台が撤去されることが話題になっている。私は先週の地元新聞の記事で知った。

 テレビのローカルニュースでも報道され、慣れ親しんだスポットがなくなることを惜しんだ人が多く訪れているという。

 その時計台は、いつも私が通勤するルートから200メートルくらい離れたところにある。最後に一目見ておこうと思い、仕事帰りにちょっと寄り道してみた。

 時計台は商店街の道がクロスする中心に立っている。高さ約7m、幅0.8mということだが、もっと大きく見える。四面が鏡になっていて、上部にアナログ時計が設置されている。見上げると天井はドーム状になっていて、キリンやライオンなどの動物が描かれていた。「サーカスドーム」というらしいが、このネーミングは近くに木下サーカスの本社があるからだろう。

 時計台の前の台座には「さよなら ありがとう 時計台」と記した名刺大のカードが設置されていて、訪れた人が自由にメッセージを書けるようになっていた。鏡の部分に書いたカードが何枚も貼ってある。「映画を観に行く待ち合わせはいつもここでした」「朝、時計を見て登校していた。ありがとう」など、時計台がなくなるのを惜しむメッセージが多く寄せられていた。

 この時計台は、遅くとも1960年代頃には設置されていたという。これだけのものができた正確な年代が記録されたものもなければ、記憶している地元の人もいないというのはどういうことだろう。しかし、人の記憶はそんなものかもしれない。前述の「サーカスドーム」は1999年に完成したということだが、私は今回の撤去のニュースを見るまで、天井にこんなものがあること自体知らなかったのだから。

 この商店街の先には、去年9月「ハレノワ」という大きな劇場が開業した。商店街振興組合によると、一体のさらなる活性化を求め、時計台の撤去後はイベントスペースを整備する予定だという。

 それにしても、何とも寂しいし、惜しい気がするのは私だけではないだろう。今まで当然のようにあったものがなくなるというのは、親しい人が突然亡くなった時の気持ちに似ている。人の死は時間の経過とともに仕方がないが、果たして時計台の撤去は商店街にとっていいことなのだろうか?

 かつて、この商店街は街の中心として賑わっていた。近くには百貨店やバスターミナルがあり、歩く人同士の肩が触れ合うほどだった。しかし、それもはるか昔のこと。私が30年くらい前に越してきた頃、もう今のような閑散とした商店街だった。そのうち、近くに複数あった映画館は全く姿を消した。今、商店街には空き店舗やシャッターを下ろしたままになっているところが目立つ。私が行ったのは平日の夕方だが、ほとんどの店舗にお客さんはいなかった。人通りもまばらだ。昭和の風景が残っていると言えば聞こえがいいが、時代から取り残された商店街と言った方が適切だろう。

 要は時計台が撤去された後、本当に人が多く集まる場所になるのかどうかということだ。私は大いに疑問である。昨年、「ハレノワ」という劇場ができてから、果たしてこの商店街の人通りがどのくらい増えたのだろう。観劇の後、この商店街でどのくらいの人が食事をしたり買い物をしたりしたのだろう。売り上げが伸びたお店がどのくらいあるのか。単なる通り道になっただけではないのか。大体、「ハレノワ」は毎日大勢の観客が集うような催し物をしているわけではない。

 地元の人は忘れているのではないだろうか?駅前にイオンモールができた時、「人の回遊性」ということが言われた。イオンモールに行った人がこの商店街にも流れてきて、街全体が潤うという発想である。私はそんなことはないだろうと思っていた。イオンモールだけで買い物が完結するのだから、他の商店街にまで足を伸す必要がないではないか。結果、私の思った通りになり、儲かっているのはイオングループだけである。

 時計台の撤去は、時代の変化とともに仕方がないことかもしれない。しかし、古いものが残っている商店街というのも魅力的である。時計台を残し、いっそのことレトロ商店街として有名になった方がいい気もする。この商店街では、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のロケが行われ、老年期の安子役を演じた森山良子さんを、ひなた役の川栄李奈さんが追いかけるシーンが撮影された。時計台の横を二人が走っている姿は、地元民にとっては感涙ものだった。

 時計台の撤去が商店街にとって吉と出るのか凶と出るのか、見守るしかないだろう。新しくできる「サーカスドーム広場」は、本当に多くの人が集うような場所になるのだろうか?確かなことは、一度なくなったものは元には戻らないということである。

 撤去作業は13日から始まり、3月下旬に新しいイベントスペースが完成する予定だという。