先日、県北の実家に帰った時のことである。地元で有名なレストランで兄夫婦と食事をした。その後、兄が車を運転し、実家に向かって国道を走っていた。すると、ふと兄嫁が外を見て、「このうどん屋さんだよね」と言い、兄が「もう閉店しているよ」と返した。てっきり私は、知る人ぞ知る美味しいうどん屋があり、そのお店が突然閉店したので残念がっているのだろうと思っていた。しばらくして隣町のショッピングセンターの前を通ると、今度は「あの宝くじ売り場で買ったらしい」と兄嫁が言うので、何のことかわからず、さすがに気になって聞いてみた。すると「このショッピングセンターの宝くじ売り場から、ロト7の10億円の当選者が出た」と兄が言うのでびっくりした。当選者というのが、先ほど前を通ったうどん屋のおかみさんだった。当選以来、地元では大騒ぎになったらしい。

 私は実家に帰るたびにそのショッピングセンターに立ち寄り、宝くじ売り場で必ずロト7を買っている。しかし、半年に1度くらいの割合で数字が3つそろい、賞金の千円を手にするのがやっとだ。宝くじなんてそんなもので、身近に10億円が当たる人が本当にいるとは思わなかった。しかも、いつもロト7を購入している田舎のショッピングセンターの売り場から出るとは…。

 兄に話を聞くと、うどん屋のおかみさんは10億円を当てた後、パートで働いていた従業員2人にそれぞれ100万円を渡し、うどん屋を閉店した。そして、一家は地元からいなくなり、その後の消息は誰も知らないという。(一説には東京に行ったという噂がある)

 実家に帰って兄と話したのは、ロト7で10億円を当てたことが、うどん屋のおかみさんにとって幸せなことなのだろうかということである。私は行ったことはないが、そのうどん屋は味も良く、お昼時には客席が一杯になるくらいの人気店だったらしい。案外、毎日お客さん相手に生き生きと立ち働いていた方が、健康的で長生きできたのではないか。誰も知らない土地でひっそりと10億円を使いながら暮らすのもいいだろう。しかし、10億円の当選で人生のツキを全て使い果たし、その後は良くないことが連続するかもしれない。いざという時、頼りになるのが人間関係である。周りに知っている人が誰もいなかったら…。

 しかしまあ、それは10億円を手にしたことがない私などの戯言だろう。後はそれぞれの人の人生観の問題である。もう働く必要のないほどの大金があったら、自分はどう動くのかを考えた方がいい。私の年齢で10億円があったら…。

 私は働くのをやめ、4WDの車を買う。そして、全国を車で移動しながら、以前から念願だった日本三百名山に登る旅に出たい。この夢は、これ以上年老いて体が動かなくなったらもう無理なことだろう。旅の途中で事故に遭ったり、山から滑落して死んでしまうこともあるかもしれない。しかし、それも運命である。あの世にはお金を持っていけないのだから、せめて好きなことにお金を使いたい。

 それにしても、うどん屋のおかみさんがロト7で10億円が当たったことが、なぜバレたのか。私だったら家族以外には誰にも言わないと思うのだが。私は知らないが、地元の人たちはうどん屋の家族がどこの誰だか知っているに違いない。

 田舎からの帰り道、ショッピングセンターの宝くじ売り場に立ち寄ってみた。確かに「当売り場からロト7の10億円の当選が出ました」と表示していた。いつもはがらんとしている売り場に並んでいる人がいた。これも10億円の効果なのか。私もロト7を一口購入した。1週間経って当否を確認すると、何と千円が当たっていた。何だか嬉しくて早速換金した。この千円を当てるのに、多分2千円は使っているだろう。宝くじは当たらないと思い、たまに少額でも当たると嬉しい。それでいいと思った。多額の宝くじの当選で、人生や人生観が変わることが怖い。

 もう一度書くが、以上は大金を手にしたことのない者の戯言である。一つだけ大切な真実は、宝くじは買わないと絶対に当たらないということである。