(先週からの続き)
見知らぬ女の子二人が近づいてきたので、私はドキッとした。一人はショートカットでカメラを持っていた。もう一人は髪が長かった。この髪の長い女の子がTさんだろうと思った。そして、私に向かって「一緒に写真を撮ってもらってもいいですか?」と言った。「はい、いいですよ」と私は答えた。
卒業式の日、校舎の裏で、私はTさんと並んで写真を撮った。ショートカットの女の子がシャッターを押して2枚撮った。一眼レフのいいカメラだった。後で知ったことだが、Tさんは写真部に入っていた。多分、そのカメラはTさんの自前のものだったろう。私の友人は少し離れたところで見ていた。写真を撮り終わると、「ありがとうございました」とTさんは私にお礼を言った。そして、二人の女の子は去って行った。
ただ、それだけである。時間にして1分もあったかどうか。私は緊張して、Tさんの顔をまともに見られなかった。丸顔で健康的な女の子だったという印象である。Kさんの言うとおり、髪が背中まで長く伸びていた。これが、私がTさんと直接会った唯一の瞬間となった。
ここまでなら、高校時代の思い出として悪くない。一学年下の女の子が私のことを好きになってくれた。熱烈なラブレターを何通ももらった。Kさんとの三角関係は苦しかったが、それは私がKさんに告白する勇気がなかっただけである。問題はここからだ。
4月から私は京都の大学に入学した。先週のブログにも書いた通り、私はTさんに下宿先の住所を教えていた。早速、Tさんから手紙が届いた。私が学校にいなくなって寂しくなったこと、Kさんの様子、日々の高校生活のことが綴られていた。Tさんの実家は学校から遠くにあり、毎日の通学が困難だった。そのため、学校の寄宿舎に入っていた。手紙によると、女の子だけの寄宿舎生活は、楽しいことが多い半面、女の子独特の面倒臭いこともあるとのことだった。
卒業式の日にTさんと並んで撮った写真が、ダメになったということも書かれていた。「ダメになった」とだけしか書かれていなかったので、どうしてダメになったのかは分からない。今と違ってフィルム式カメラの時代である。ショートカットの女の子が撮りそこなったのか、現像の時に何らかの理由で失敗したのだろうか。何だかとてもガッカリしたのを覚えている。写真がダメになったことにより、Tさんの面影を思い出す手段がなくなってしまった。
大学入学以来、Tさんからの手紙は定期的に下宿に届いた。一か月か二カ月に一度の手紙だったが、いかにも女の子といった封筒と便箋だった。私はTさんからの手紙を詳細に読み、高校時代と故郷を懐かしんだりした。同じ下宿の人からは「彼女からの手紙か?」と言われて冷やかされたりした。
そんなTさんからの熱心な手紙に対して、私は返信を書かなかった。一度も書かなかった。Tさんは返信がないことをいぶかしんだ。三カ月くらいすると、「どうして返事をくれないのか」とか、「一度だけでも返事がほしい」と書いていた。半年くらいすると、「私に何か悪いところがあるなら言ってほしい」と書いていた。それでも私は返信を書かなかった。Tさんからの手紙は、徐々に間隔が空いていった。夏休みやお正月で田舎に帰った時、バッタリTさんに会ったらどうしようかと思ったりした。
1年が経った。Tさんから久しぶりに手紙が来た。そこには「なぜ返事をくれなかったのか分からない。無視されるのが一番つらい。嫌いならハッキリ言ってほしかった。返事がないので、いつまでも諦められなかった…」と書かれていた。それがTさんから来た最後の手紙となった。
なぜ私は返信を書かなかったのか。もともと私が好きだったのはKさんであり、Tさんではなかった。大学生になって広い世界を知った私は、今までと違った異性との出会いを求めていた。遠距離恋愛より、身近な異性との恋がしたかった。大学生活が忙しかったなど、今となっては色々と理由付けができる。しかし、それは全て私の言い訳である。本当はもっと違った大きな理由がある。それを私は分かっているが、さすがにここには書けない。私は一生、誰にも言わず胸に秘めておくつもりだ。大きな理由に屈してしまったとだけ記しておく。私は情けない男である。
あれから〇十年経ち、私も過去を振り返る年齢になった。今までの人生を顧みた時、今でも私の胸を刺す思い出がTさんとのことである。チクリとした心の痛みは、いつまでも消えそうにない。当時私は、熱心に手紙をくれる少女を傷つけてしまった。純真な心を傷つけてしまった。
今の若い人から見れば、笑い話に過ぎないだろう。もしも今のようにスマホがあり、Tさんと毎日LINEの交換をしていたらどうなっただろう。私があの時、Tさんと手紙のやり取りをしていたら大恋愛に発展したのだろうか。卒業式に撮った写真がダメにならなかったら、その後の人生が変わったのだろうか。人の一生は分からない。人生の分岐点で、私とTさんは離れて行った。
その後のTさんはどうしただろう。私のような妙ちくりんな男ではなく、もっとまともな人と出会って、幸せな人生を歩んだと思いたい。私のことなど忘れてしまっているかもしれないが、それでいい。
もしも今、Tさんと再会し、私のことを覚えてくれていたなら、「あの時、あなたの乙女心を傷つけてごめんなさい」と謝りたい。しかし、そんな出会いはないのが普通である。すれ違ったとしても、お互いに気付かないだろう。それだけ時間が経ってしまったのだから。
以上が、Tさんからのラブレターに関する私の思い出である。Tさんからもらった数十通の手紙は、実家をリフォームする時に誰かが処分したのか、もう一通も残っていない。文中のTさんの手紙の内容は、全て私の記憶によるものである。
3回にわたり、長い文章となった。全て読んでくれる人など誰もいないだろう。しかし私は、Tさんとのことを文章にして残したかった。書き終えた今、少しほっとしている。
Tさんに対しての贖罪の気持ちで、私はこの文章をしたためた次第である。これで胸の痛みは少なくなるのだろうか?