新型コロナウイルスに感染したので、今年の正月は実家に帰ることができなかった。感染から約3週間経ち、もう実家に住む兄夫婦にうつすこともないだろうと思い、県北へと車を走らせた。

 雪があるのかと思ったが、途中の高速道路も、実家の周辺も全く雪はなかった。寒さも私が住む岡山市内と変わらないくらいだった。

 11月に登った摺鉢山を遥かに見た。旧久世町の奥深いところにある山である。雪化粧していてもおかしくないと思ったが、ここにも雪はないようであった。改めて、あの頂上まで登ったのだということを実感した。寒波が来れば、すぐに雪に覆われるだろう。

 兄とはコーヒーを飲みながら、30分くらい話をしただけである。急遽、仕事が入ったということで、出かける準備をしていた。新型コロナウイルスに感染したが、すっかり回復したことを告げた。兄の会社も年末から社員が何人も感染し、やりくりに大変だったと言っていた。

 兄の家を辞し、母のお墓に立ち寄った。我が家の墓所から、旭川を越えたところにある笹向山が良く見える。ここも擂鉢山と同様、子どもの頃から毎日のように見ていた山である。今年は、ぜひあの笹向山に登ってみようと思った。地元の神社にも行き、遅まきながら初詣をしておいた。

 思った以上に早く帰路につくことになった。そこで、ちょっと寄り道をした。美咲町にある幻住寺(げんじゅうじ)である。「幻が住む寺」とは、何ともロマンを感じるではないか。寺の背後には幻住寺山が控えており、実を言うと、この山に登るのが主目的である。

 坪井方面から県道159号線に入った。5分も走らないうちに、林道幻住寺線という道案内が出てくる。ここを右折した。この道を走るのは初めてである。林道とはいえ、きれいで走りやすい道だった。途中、「梅の里」という公園があった。こんなところに梅の名所があるとは知らなかった。

 対向車とすれ違うことなく、約10分車を走らせた。幻住寺への分岐には案内がない。あらかじめグーグルマップで調べておいたので、通り過ぎることはなかった。幻住寺池を左手に見ながら登って行くと、突き当りに広い駐車場があった。一台の車も止まっていなかった。

 幻住寺は曹洞宗の禅寺である。山の中に、こんなに立派な寺があるとは知らなかった。ネット情報によると、奈良時代に建立されたと伝えられ、作州南部の三大名刹の一つとされているとか。寺の名前は後醍醐天皇の命名だという。「夢中山 幻住寺」と案内されている。「夢中山」とは、後醍醐天皇が配流途中の院庄で、夢枕にこの寺の老僧が現れてお慰めをした。そこで、後に「夢中山」という山号を賜ったということだ。

 まずは大きな仁王門が目を引く。長い階段の両脇や鐘楼の前に、サツキが植えられている。一目見ただけで、よく手入れされているのが分かる。しかし、庫裡と観音堂の前を通ったが、人の気配を全く感じなかった。

 寺の右手に「幻住寺郷土自然保護地域」という案内板があった。幻住寺山への登山道はここからである。実を言うと、すぐに登れる山だと思ったので、登山の準備をしていない。ザックも持っていないし、登山靴も履いていない。果たして登りきることができるのか。

 YAMAPアプリを見ると、毎年2~3人がこの幻住寺山に登っている記録がある。ほとんどの人は、林道脇に車を止めて別ルートから登っている。しかし、寺からのルートもあると知り、あえてここから登ることにした。

 赤テープがところどころにあるので、見つけながら登って行った。ずっと樹林帯の中である。落ち葉が堆積していて、フワフワとした感触だった。やはり登山靴でないと歩きにくい。ちょっとしたピークまで来ると、赤テープが見えなくなった。ヤブで踏み跡も確認できない。諦めて帰ろうかと思ったりした。YAMAPアプリを見て幻住寺山の方角を確認し、少し下ってみた。すると、かすかな踏み跡が見つかった。その先に行くと赤テープもあり、登山道らしい道にも合流することができた。

 道は続いているが、右手に新たなピークがあった。思い切ってそのピークに向かって方角を変えた。多分、まっすぐ歩いて行くと、YAMAPの登山記録にある林道脇からの登山道につながるのだろうと思った。

 小ピークまで来たが、どうも頂上ではないようだった。よく見ると、更に踏み跡は続いている。辿って行くと三角点が見えた。何とか幻住寺山(510m)に登ることができた。寺から約20分だった。樹林帯に囲まれて、眺望は全くなし。三角点と簡単な頂上標識が木に括り付けられているだけである。もと来た道を辿って、すぐに寺まで戻った。

 幻住寺山は、「岡山県百名山」という本にも紹介されている。しかし、マイナーな山であり、登って面白いということはない。幻住寺そのものは、見る価値充分な寺である。ここは山だけでなく、寺と一体になって訪れるべきところだろう。山へは林道脇からのルートの方が分かりやすいかもしれない。しかし、個人的には寺からのルートをお勧めする。今度はサツキの咲く頃に訪れてみたいものである。