最近観た3本の日本映画についての個人的な雑感!

*「ある男」

 「愛したはずの夫は、まったくの別人でした」というキャッチコピー。なぜその男は、別人として生きたのか。「ある男」の谷口大祐を窪田正孝、妻の里枝を安藤サクラ、「ある男」の正体を追う主人公の弁護士・城戸を妻夫木聡が演じる。

 ミステリータッチでストーリーは進んで行く。派手なシーンや、奇をてらう演出はない。しかし、絶えず画面から緊迫感が伝わり、目を離すことができない。計算された濃密な画面構成、的確な役者の演技と相まって、優れた作品に仕上がっている。石川慶監督の手腕は見事である。また、大胆に時間を省略した脚本も一級品だ。柄本明が主役を食うくらいの存在感のある演技をしていた。清野菜名や真木よう子もいいが、チラッと出ていた河合優実に注目したい。

 どんな人でも過去や事情を背負って生きている。今までの人生を全て捨てて、「ある男」になることができたなら…。誰もが一度は考えることかもしれない。じっくりとスクリーンに向き合いたい人にはお勧め。個人的には傑作と言ってもいい作品である。

 

*「ラーゲリより愛を込めて」

 ネット上のレビューでは絶賛する人が多い。確かに主役の山本幡男を演じたニノ(二宮和也)は熱演。松坂桃李、中島健人、桐谷健太、安田顕など、シベリアの収容所で過酷な労働を強いられた人を演じた役者さんも称賛に値する。さぞかし撮影は大変だったろう。

 瀬々敬久監督は、今年「とんび」も公開された。情感の入った映画を撮らせると本当に上手である。この作品も瀬々監督の力量が十分に発揮されている。

 しかし、ちょっと設定がわざとらし過ぎないだろうか。戦争の混乱で家族が離れ離れになる。夫は収容所で強制労働。妻と子どもは帰国して夫の帰りを待つ。主人公を慕う犬。夫はシベリアで病死。帰国した人たちが夫の遺言を伝えるなど、泣かせ要素があり過ぎである。

 「いとしのクレメンタイン」を皆で合唱するシーンでは、「ビルマの竪琴」を思い出してしまった。収容所の人たちが健康的すぎるとか、歯が白すぎるとかいうレビューを何度も読んだ。確かに私も感じたことだが、そこの部分を詳細に描くと別の映画になってしまう。まあ、許容範囲だろう。しかし、犬が氷の上を走って引き揚げ船を追いかけるというのは、明らかにやり過ぎ。いなくなったはずの犬が、いきなりタイミングよく出てきた。

 私の一番の違和感は、北川景子がきれいすぎるということだ。エンドタイトルを見ると、北川景子専属のヘアメイクが付いていた。二階堂ふみ辺りの役者にこの役を演じてほしかった。

 劇場内ではすすり泣く声があちこちから聞こえた。私はこの程度の映画では泣かない(泣けない)。

 余談だが、映画の冒頭で「かの国」が中立条約を破って攻め込んでくる。「かの国」は第二次世界大戦終了後、わが国固有の領土である北方領土を占領した。戦争が終わった後に占領したのである。そして、島の住人を追い出し、未だに不法占拠したままだ。映画では収容所で共産主義に思想を変えさせるシーンも出てくる。今年始めた戦争を見るにつけ、国名が変わっただけで、「かの国」は相変わらず…である。

 

*「Dr.コトー診療所」

 私はフジテレビのドラマをめったに見ない。しかし、この「Dr.コトー診療所」は毎週欠かさず見ていた。ワンカットをとても丁寧に撮っていて、映画の撮影と同じくらい時間をかけているのではないかと思った。そして何より、数多ある医療ドラマとは一線を画するストーリーに感動した。知人の娘さんが、このドラマを見て医師を志し、本当に国立大学の医学部に行き、今では立派な医師として働いている。

 映画ができると知り、公開が待ち遠しかった。ドラマの終了から16年、どんなストーリーを見せてくれるのか、大いに期待して劇場に行った。

 なるほど、映画で復活させてまで脚本家や監督のやりたかったことはよくわかる。過疎高齢化や財政難で、離島の医療体制を維持するのは困難だろう。医療統合の話があるのも当然かもしれない。コトー先生のアンチテーゼとして、髙橋海人演じる判斗先生を配したのは、テーマを際立たせるためだろう。

 島の美しい景色を大きな画面で見ることができた時は、満足感で一杯だった。しかし、誰もが感じることだが、後半の台風のシーンになって、全てがぶち壊された気分である。コトー先生が病気に冒されても、島の全員を助けるために奮闘するシーンにしたかったのだろう。しかし、あまりにケガ人が多すぎる。あれでは医療の問題ではなく、島の災害対策の問題になってしまう。島に住んでいるからこそ、台風に対する備えは慣れているのではないのか。最大の疑問は、コトー先生が倒れた時、誰も助けに来なかったことだ。見ていてあ然としてしまった。

 剛洋が金銭的な事情で医学部を辞めてしまったというのもいかがなものか。コトー先生にあこがれて、目を輝かせていた子ども時代を知っている者としては悲しかった。医師になったものの、悩んで島に帰ってきたということで良かったのではないか。

 あのラストはどう解釈するのか。私はコトー先生は死んだと思った。子どもを抱き上げるシーンはイメージ映像という解釈である。だから判斗先生が島に残り、コトー先生の後を継いで自転車で島を回っている。診療所の名前は「Dr.コトー診療所」のままにして、判斗先生に引き継がれたとした方が自然だろう。しかし、コトー先生は病気の治療をして、再び島の医師として働いているというネットのレビューも多い。それなら、腕をだらりとして、画面全体が白くなったシーンはどう解釈すればいいのか。

 テレビ版の「Dr.コトー診療所」を見ていた人なら、人間関係や高台にある石碑の意味も分かるだろう。しかし、初めて映画で接する人はどう思うのだろうか。映画の出来はともかく、オリジナルメンバーが総結集しており、私は懐かしかった。髙橋海人と生田絵梨花は新メンバーだが、想像以上の演技力に感心した。判斗先生を中心とした続編があってもいいだろう。

 結局、離島の医療問題は解決しないまま映画は終了した。製作者側はこれで良かったのだろうか?