私が10年以上一人の女性と文通をしていたということは、以前、このブログに書いた通りである。スマホなどなかった若かりし時代、私はよく手紙を書いたものだ。手紙の中で、今回はラブレターを取り上げてみたい。

 何時、初めてラブレターを書いたのか、今となっては明確に思い出せない。きっと、高校時代だったのだろう。しかし、依頼されたラブレターを書いたのは、間違いなく大学時代である。「依頼された」というのは、自分の恋する相手への手紙ではなく、友人のラブレターの代筆をしたということだ。

 学生時代のある日、同じ下宿のN君が私の部屋へ来て、「〇〇(私の名前)、君は文章がうまいな。ちょっと代わりに手紙を書いてくれないか」と言った。N君には高校時代から好きな女の子がいたという。しかし、一度も告白することなく高校を卒業した。今からでも何とかしたいが、卒業してしまって会うこともなくなった。そこで手紙を書いて思いを伝えたいとのこと。元来の筆不精で手紙を書けないから代わりに書いてほしい、というようなことだった。

 ラブレターの代筆など断ればいいものを、私は気軽に引き受けてしまった。その女の子のイメージが湧かないので、N君に高校の卒業アルバムを見せてもらった。顔写真だけでなく、バレーボールか何かの部活の写真もあったと記憶する。N君と女の子のなれ初めや、二人しか知らない具体的なエピソードなどを聞いた。そして、一晩でN君のラブレターの下書きを完成させた。N君は私が書いた文面にとても満足そうだった。その日のうちにN君は下書きを自分の字で清書し、すぐに女の子に送った。

 数日後、N君のところに女の子から返事が届いた。女の子の方もN君に好意を持っていたということが書かれていた。N君と女の子は何回か手紙のやり取りをしていた。2通目からは、N君は自分で手紙を書いていた。そして、夏休みに田舎に帰った時、会うことを約束したということだった。記憶によれば、N君とその女の子は、大学を卒業する頃まで付き合っていた。もしかしたら「その後結婚まで…」と思ったりする。しかし、大学卒業以来、N君とは没交渉となってしまい、その後のことは分からない。結婚していたとしたら、最初の手紙は他の人が書いたものだということを、N君は相手の女の子に伝えたのだろうか?

 不思議なことに、ラブレターが成功したお礼として、N君からお金を受け取った記憶がない。もしかしたら、学食のランチを何回か奢ってもらったくらいだったのかもしれない。

 その後も何度かラブレターの代筆をした。今思うと、他人の恋愛感情を客観的に楽しんでいたような気がする。自分の恋ではないので責任がない。書いた文面に満足してもらえたら私も嬉しかった。代筆した手紙によって、恋がうまくいったこともあれば、うまくいかなかったことも勿論ある。

 しかし、大きな落とし穴があった。他人のラブレターなら書けるのに、自分のラブレターとなると、うまく書けないのだ。好きな人への思いが溢れてしまい、客観的に書けなかった。変に文学的になったりして、混乱した気持ちが文面に出てしまった。うまく書こうとし過ぎたのだろう。結果、全て失敗してしまった。今思うと、当時の自分が単に魅力がなかっただけだった気もするのだが…。ラブレターとは、かくも難しいものである。

 ほぼ全ての人がスマホという便利なツールを持つ時代となった。今の若い人からすれば、「ラブレターなんて前時代的でバカバカしい」と思うかもしれない。しかし、好きな人のことを思い、時間をかけて一文字ずつ便箋に文字を埋めるという行為を認めてくれる、そんな異性に今からでも会いたいものである。

(「ラブレター」は2回目も書く予定、次回はもらったラブレターについて。)