NHK‐BSで「The Covers」という番組が放送されている。いろいろなジャンルのJ‐POPのシンガーが、誰もが知っている歴代の名曲を自分なりにアレンジして歌う番組である。MCはリリー・フランキーさんと水原希子さんで、ゲストの方とのおしゃべりがしゃれていて楽しい。私などは青春時代に好きだった曲が紹介されると、その曲がヒットした当時の甘酸っぱい記憶が蘇ってくる。
先日放送されていた番組(2021年10月24日放送の再放送)を見ていると、宮本浩次さんが「宮本浩次、バラードを歌う」と題する回に出演していた。宮本さんが歌う宇多田ヒカルさんの「First Love」も良かったが、強く印象に残ったのは柏原芳恵さんの「春なのに」の方である。宮本さんがあえてキーを下げず、体全体を使って絞り出すように歌う「春なのに」を聞いて、胸が熱くなってしまった。
「春なのに」はネット記事によると、1983年1月11日に柏原芳恵さんの12枚目のシングルとして発売された。作詞作曲は、あの中島みゆきさんである。この曲がヒットした頃、「ザ・ベストテン」や「レッツゴーヤング」などの歌番組に出演して、「春なのに」を歌っている柏原芳恵さんを何度も見ている。その当時もいい曲だと思い、何度も口ずさんだりした。しかし、イマイチ理解できない感じがあった。柏原芳恵さんの歌が下手だったからでは断じてない。むしろ、あの当時の少女の恋心をうまく表現して歌っていた。今回、宮本浩次さんの歌を聞き、画面に表示される歌詞を見ながら、なるほどこういう内容だったのかと、40年経って謎が解けた気分である。
歌詞はいきなり「卒業だけが理由でしょうか」で始まる。何の理由なのか、それは「別れの理由」である。
「会えなくなるねと 右手を出して さみしくなるよ それだけですか」と続く。卒業する男性に恋心を抱くのは下級生の少女だろう。それも、今まで付き合っていた訳ではなく、憧れに近い感じで恋をしていたのだろう。
「むこうで友だち呼んでますね」で、少女に背を向けて、名前を呼ぶ友だちのところに走っていく男性の姿が想像できる。
「流れる季節たちを 微笑で 送りたいけれど」。恋する男性と別れてしまう季節となり、微笑みで送ることはできない。
以下、「春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます 春なのに 春なのに ため息 またひとつ」と続く。春は草木が芽吹き、明るい季節である。しかし、春なのに好きな男性と別れてしまう。「春なのに」のフレーズの連続が、切ない恋心を強調している。「春だから」ではなく、「春なのに」としている理由である。
40年前に理解できなかったのは2番の歌詞である。
「卒業しても 白い喫茶店 今までどおりに 会えますねと 君の話はなんだったのと 聞かれるまでは 言う気でした」。卒業しても会おうと思えば会えるはずである。「今までどおりに白い喫茶店で会いたい」と言うつもりだった少女。しかし、男性を呼んでその言葉を言う前に「君の話はなんだったの」と言われてしまった。この一言で少女は自分の恋は片思いで、完全に失恋してしまったと感じたのだろう。男性にも悪気があった訳でも少女を傷つけようとした訳でもない。しかし、そこが残酷で悲しい。また、白い喫茶店というのが時代を感じるがとてもいい。それは宮本浩次さんも「The Covers」の中で同じことを言っていた。白い喫茶店だから歌のイメージが湧くのであり、「卒業してもスターバックス」ではダメだろう。
「記念にください ボタンをひとつ 青い空に 捨てます」。せめて少女は、恋する男性の学生服の第二ボタンをほしいと思う。第二ボタンは心臓に近く、「一番大切な人」という意味がある。ボタンを受け取ったら、少女はそのボタンを青い空に捨てることによって恋心を断ち切ろうと思うのだ。「青い空に投げます」ではなく、「捨てます」としている所以である。しかし、ボタンを受け取ったのかどうかは分からない。以後のことは歌を聞く我々の想像に任されている。制服が学生服からブレザーに変わりつつある今、恋する男性から学生服の第二ボタンをもらおうとする少女など、今の時代にいるのだろうか?
再び「春なのに お別れですか 春なのに 涙がこぼれます」という歌詞が繰り返される。40年前に聞いた時、一番印象に残った歌詞である。
以上が私が想像するこの歌の内容である。改めて歌詞を理解しながら聞くと、少女の片思いの切なさが胸に迫る。少女を間近で見守っているような気分になり、私の方が涙がこぼれてしまった。
下手な作詞者が同じシチュエーションで歌詞を書くと、少女の感情説明を多用するのではないか。そこを最低限の言葉でとどめ、聞く人の想像に委ねている。これはもう中島みゆきさんの天才性に、ただただ脱帽するだけである。
卒業を歌った曲は数多ある。その中で、この「春なのに」は間違いなく名曲と呼んでいい一曲である。
「春なのに」を歌っている柏原芳恵さんの昔の映像(セーラー服で歌っている)や、「The Covers」で宮本浩次が歌っている映像は、You Tubeでも見ることができる。興味のある方は是非ご覧あれ。
*余談だが、今の天皇陛下が、この「春なのに」がヒットしていた当時、柏原芳恵さんのファンだと報道された。コンサートもご覧になった。その後「春なのに」は音楽の教科書に載るかもしれないと言われた。しかし「卒業しても 白い喫茶店」の歌詞が引っかかってダメになったという。高校生が喫茶店に行くのは良くないという教育上の配慮だったらしい。今考えるとバカバカしいが、これもまた時代を感じるエピソードである。