*007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる「007シリーズ」最後の作品。昨年のゴールデンウィークに公開予定だったが、コロナの影響で公開延期。やっと観ることができた。3時間近くの上映時間はちと長すぎるが、アクションシーンの連続で飽きることなく見続けることができる。ダニエル・クレイグ版「007シリーズ」の総決算なので、過去作を観ていないと人間関係などが理解できないかもしれない。
個人的には第1作から「007シリーズ」を観ているので、ショーン・コネリーやロジャー・ムーアが演じたジェームズ・ボンドが懐かしいと思ってしまう。アクションも派手になり、CGを多用した今風の映画になっているが、シリーズ全体から考えると賛否があるだろう。
クレイグ版の007は、ジェームズ・ボンドの出自や恋愛を描き、「悩めるボンドシリーズ」だった。最愛の人を見つけ、子どもまで授かるようなボンドをファンは見たいのだろうか?これはもう必然の結果としてボンドの「死」しかないだろう。1本の映画としてはとても良くできているが、クレイグが演じる「007シリーズ」は、前作の「スペクター」で終わっても良かったのでは…。
レア・セドゥ演じるマドレーヌは確かに美しいが、アナ・デ・アルマス演じるパロマの方が印象に残った。出演時間は短いが、めちゃくちゃカッコいい。
あれだけ撃たれているのだから、1発くらいボンドに当たるだろうとか、ミサイルで他国の島を攻撃したら戦争が起きるだろう、などと言ってはいけない。これは007の映画なのだから。
エンドタイトルの歌も含めて、「女王陛下の007」へのオマージュになっている。と言っても、「女王陛下の007」をどれくらいの人が覚えているだろう。オーストラリア出身のジョージ・レーゼンビーがジェームズ・ボンドを演じたが、よほどの「007シリーズ」のファンでなければ知らないのでは。文字通りこの1作で消されてしまった。
シリーズを一度リセットして、新たな「007シリーズ」を観たいものだ。誰がジェームズ・ボンドを演じるのだろう?
*護られなかった者たちへ
東日本大震災後が描かれているが、テーマは生活保護のあり方である。震災後の生活困窮者をどう救えば良かったのか?老人にしても若者や子どもにしても…。
震災後に利根(佐藤健)と幹子(カンちゃん・清原果耶)と遠島けい(倍賞美津子)が寄り添いながら生きている。不器用な若者の利根が、カンちゃんとけいにだけは心を開いている。他人同士の3人のささやかな生活だが、困窮という現実からは避けられない。老齢のけいは福祉事務所に生活保護を申請するが、なぜか自ら申請を取り下げてしまう。その結果の悲劇。
この生活保護申請の実態は、ほとんどの人は映画を観るまで知らないことだろう。悪いのは殺された福祉事務所の職員ではない。この国の福祉政策の問題なのだ。半面、不正に生活保護費を受け取っている人がいるのも事実で、その辺りの現実を映画はリアルに描いている。
猟奇殺人の犯人は誰かというミステリー要素があるが、映画を観慣れた人なら犯人は誰だかすぐに気付くだろう。殺人犯人を追う刑事の笘篠(阿部寛)は熱演だが、あくまでストーリーを展開させるための役であり、ヒーローではない。
カンちゃんを演じた子役がなかなかいい。その後の清原果耶にうまくつながっている。清原果耶はNHKの朝ドラよりも素晴らしい。阿部寛や佐藤健に負けないくらいの存在感だった。
刑事の笘篠が震災直後に黄色いパーカーを着たカンちゃんに会っている。黄色い服というのがラストシーンまで生きている。利根が黄色い服の子(笘篠の子ども)を津波から救おうとして救えなかったというくだりが、巧みな脚本ととらえるか、出来すぎととらえるかでラスト印象が変わってくる。原作はどうなっているのだろう。
猟奇殺人は餓死させたことに意味がある。いくら何でも女性一人での犯行は現実的には無理だろう。しかし、テーマを浮かび上がらせるためのストーリー上の問題なので、私はあまり違和感がなかった。
瀬々敬久監督作品に大きなハズレはない。ワンカットを丁寧に撮っていて、間違いなく秀作である。劇場内ではすすり泣く音があちこちから聞こえた。一言文句を付ければ、あのバレリーナの演出は必要だったのだろうか?