自分の耳に聞こえるもの、見えていることが


『違うよ、そうじゃないよ。そんな人なんていないよ。』


と周りの誰にも事実を否定され、理解されない、わかってくれないということは


どれだけの恐怖なんでしょうか?


『私が言っているのに、わかってくれない。あそこに人がいるのに信じてくれない、だから私はそればかり考えてしまうのよ』


もしそれが見えたとき、私も当たり前の様にその事実を他者に話すのだろうなと


アリセプト5ミリ


彼女に忘れないように服薬してもらう。


『あなたが来てから、泥棒が来なくなったのよ』


と笑顔で泣きはじめる。


泥棒が来たら私が懲らしめてやりますから、と正義の味方を気取って芝居を打って帰る。


天災も病気も不慮の事故も誰が悪いってわけじゃない。


ただ、それを受容したり負けない為にその分野を勉強したり、専門家に相談することはとても大切なことだと思います。


その分野がわからない相手に相談したり聞いてもらったところで、否定されたりするのは当然のことなのかもしれませんね。


『私のことをわかってくれない』


少しでも理解してくれようとする人間に縋り付こうとする気持ちがわからない訳ではありませんが


依存しても、その相手がいつまでも側にいてくれるとは限りませんもんね。


自分が素敵な人に出会えたとき、考え方や生き様を取り込んで自分に生かすことが出来たなら


その人に出会えた本当の価値になるんじゃないかと思います。


求める人間、求められる人間。


人の役に立つ為に知識を蓄えようと悪戦苦闘する人に出会えたとき


私は物凄く感動してしまうわけです。



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