戸塚ヨットスクール

http://news.nicovideo.jp/watch/nw38733

基本的人権を認める限り、
こと人の言っていることは正しくないが、
それを除外し、この人の言っていることが正論になるならば、
日本はアメリカ・中国に勝てるようになるかもね。

極端な思考だけど。
試行錯誤は続く。

次第に自分のトレードマークとなっていく。

かぶる角度、ツバの角度と流し方のバリエーションが増えていく。

バリエーションにコンテクストがあることを知り、それをまた自分に重ね合わせる。

ピッタリ重なった時、コンテクストは周りから見えなくなり、普遍なものとなる。

NYCに留学していた時、住んでいたアパートの清掃員のオッちゃん
「その帽子どこで買ったんだ。俺も欲しいな。お前すごく似合ってるよ」
俺「これはじいちゃんの形見なんだ。同じものはイタリアに売ってるよ」
オッちゃん「そうか。。大事にしろよ」

別に普通っちゃ普通の会話。でもこの時「やっと資格が得られた」ってなんか実感したんだ。

その時、理由はわかんなかったし、そんな事どうでもよかった。
上で書いたのが後付けの理由。

完全性を全く殺さずに、所有者の個性と完全に一致した時、master pieceを持つ資格が実感できる。




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正確に言うと、祖父はBorsalinoを同型で色違い(ネイビーとウグイス色)を持っていたため、ネイビーを従姉妹が、ウグイスを僕が受け取ることとなった。

その頃の僕は、まだまだ流行を追うことと、少しの個性を試しては失敗するファッション初心者。流行っていた裏原系からセレクトショップ、古着屋、アジアンショップ、ハイブランドとありとあらゆる服を直感で購入していた時期(今思うと、昔の方が自由に服に触れてた。自分のファッションセンスの土台を形成していた時期なんだなー)

ワードローブはその時代に乗ったそこそこイケてる奴ら。。だと思っていた。

イケイケの若い衆がシーンと静まり返った。 Borsalinoのその余りにも完成されたプロダクトを前にして僕と連れは初めて目の前にそびえ立つ頂を見た。そんな感覚。。

どの服を合わせても、ボル様が余りに目立ちすぎ、しかしそのポテンシャルを潰すことしかできずいつしか鑑賞用になっていった。

受けとった一年後、従姉妹が亡くなった。

僕の手には2人の想いが染み込んだmaster pieceが残った。


東京に移った後も、その時々の好みのファッションに合わせては首を傾げ、物は試しに被って町を彷徨いたりした。

しっくりこない。

他人から褒められることはあった。でも何か違う。しっくりこないんだ。

分からなかった。それなりの服は着ていたし、自分で言うのもあれだがファッションに関しては自他共に認めるセンスがあると思っていた(いる)

何が足りない?

(続く)



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