母の誕生日は2月だったが

まともなお祝いやプレゼントなど

何も出来ないまま3月に入ってしまい

しかし日々はバタバタと過ぎて

会う約束だけしていた昨日

前日に母からお墓参りに行きましょうと言われ

その花代と昼食代をもつことで

お祝いがわりにして貰った。


子どもの時に

墓参りと言えばここ。だった、

父の実家の墓と

私が20代の終わりから加わったのが

その父本人の墓

そして今回更に増えたのが

父の弟である叔父の墓である。


私の中で父の兄妹構成は実質5人

私が生まれる前に亡くなっている2人もいるが

父の上に2人の兄(伯父)

父の下に1人の妹(叔母)1人の弟(叔父)

父は真ん中で

しかし、この5人の中で

最初に亡くなったのは父だった。

当時60歳で、早かった。


その葬式の時に一同顔を合わせたが

しかしそれ以前から疎遠になりつつあったので

その後私の結婚式で会った伯父叔母もいたが

ほとんど付き合いのない約15〜20年くらいを経て

実はここ2〜3年の間にバタバタ亡くなっていたらしく

1番上の伯父はその元々の実家の墓に既に入り

2番目の伯父だけ存命

4番目の叔母が去年亡くなり、まだ墓はなく

5番目の叔父が実は一昨年に亡くなっていたという。


子ども時代の記憶にあるおじ・おば達が

あれよあれよと次々に他界していたとは。

そしてその各葬式に呼ばれることもなく

それぞれでひっそりと葬式を終えていた

叔父に至ってはその知らせさえ今までなかった。


疎遠になっていたのは

その父の兄妹間でいざこざがあってのことで

我々その子どもたちは知る由もない

いや、もはや連絡を取り合っていない従兄弟たちが

各親からどのように事情を聞いているか

いないのか、全く分からないが


過去の記憶を思うと

正直、残念かな。

どこにでもある話

一族みな仲良しなんて

そんな家もあれば

てんでバラバラ

そういう家もあるだろう。でも


少なくとも子どもの時は

皆んな集まってワイワイやってるような

一族だったのよね。

自分がそういう家に嫁いだとしたら

それはそれで面倒だし

実際、子ども時代も

中学以降は段々人の集まる場所が苦手になって

いまだにそういう付き合いが得意ではない。から

ある意味は現状の方が都合が良くて

現代的だと思うけど


でも一抹の淋しさですかね。

何も

この年になってから

語り合うこともなく

死んでしまったんだなあ。と思うと

ちょっとくらい

話す機会があっても良かったんじゃないか

と、

記憶にある昔の叔父の顔を思い浮かべながら

初めて訪れたその叔父の墓に

手を合わせていた。


ずうっと、ずうっと

面倒くさいと思って

どちらかと言えば人付き合いを

避けてきたタイプなんですけどね。

私自身は。


親世代の死に方や付き合い方を

一例としてこの一族を見るに

うーん。

それはそれで

淋しいなあ。残念だなあ。と感じる。

身勝手な感想でしょうけどね。


じゃあ自分はどう人と付き合って

どういう人生を送って

どんな風に死にたいのか

考えさせられる。

考えても、いいと思うよ。