記憶にあるその人は

美人ではなくて

息子はめっちゃ似てる

娘も似てるけどちょっとふっくら


普通のおばちゃんなのに

当時にしては珍しいベリーショートで

やや低めの声で


子どもの目ではよく分からないけど

あんまり頭は良くないと大人が言い

そうかなあ?なんて思ってた


あの叔母が亡くなったらしい

もうずっと

父が亡くなって祖母が亡くなって

その時のお葬式前後に会って以来

まあ

会っていたと思うけれど

その時の記憶があまりないんだけど。


悲しいか、ともし聞かれるなら

亡くなった事実に驚くけれども

涙は出ない。


でも最初にそれを聞いて

私の脳裏に浮かんだのは

そうか、あの叔母は

もうこの世を離れることにしたんだ

もうそれでいいと思ったんだな

という

ちょっとした淋しさだった。


私の母にとっての義妹であり

母の歴史の中の同世代の身内が

また、1人亡くなったのか、と思うと

それが悲しかろう、と

母を思う。


いずれ

私も20年も経てば

そんな気分を味わうのだろうか


親世代のような親戚づきあいがない私たちには

そもそも、

パズルのピースがまた一つ

じわじわと仲間が減っていくような感覚よりは

いきなりガン!と直撃の

喪失感に見舞われる

本当に近い家族しか身内としていないのだけど


私ときたら友だちも少ないから。

その頃、どんな気持ちで

毎日を生きているだろうか。


母も老いて

目にする芸能人も老けて

訃報も聞く

え、あの人亡くなっていたのか

という事もある


死が

昔よりも現実的に

近づいてきている


どうかな?

私なら今

もう、死ぬんだ

この世とお別れなんだよ、と言われて

ハイそうですか、と

受け入れられるか?


いやいや

それは全然、嫌ですね。

むしろこれからじゃないの、と思うくらい

まだ何も

してないわ。


あらら

気づいちゃったわね。

人生や体力の残り時間、タイムリミットと

それに反比例して

あまりにも何もしてない、味わってない

愕然とする事実に。


明日をどう過ごそうか。

どうぞ悔いのない1日を。


叔母へ、

気づかせてくれてありがとう。