小保方さんがさ、メディアにでましたね。

研究に携わり、論文に携わり、その内容の不正に携わってしまったことはどうであれ事実だけども、そもそも1人で研究、論文作成したわけじゃない。

本当にあの時点で存在したのか間違いだったのかは自分には分からない。本人に真相も知らない。

ある意味上司である共著者達があの時小保方さん同等にクローズアップされない、言及されないように感じるのは、リケジョって言葉が作られたせいか?理研の利権か。

あの時共著者たちも存在を認めたのではないのか?
論文が不正なら当然共著者全員がそうだ。


部下の責任はもはや上司の責任ではない、のか。
どこまでが上司なのか。

世界的研究と論文の内容を発表前にどれだけ精査したのか。

いや、発表前に細胞が作成された事実を研究、共著、第三者複数人が認めずに発表されるものだろうか?

学生の卒論ですら引用と盗用が問題視されるくらいだ。

共著といいつつも、だったのか。
一緒に研究してきた人たちはどうであったのか。

自殺まで起きたくらいだ、僕らが知っているのは上澄みでしかない。

でもその上澄みが私達の事実になってしまう。