進学基準から見えるもの | 自己責任でなんとかしてね。大学受験。

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長男、2011年2月に中学入試終了。
次男、2013年2月に中学入試終了。
中学受験は子どもの成長するための場所探し。
子どもが笑顔で過ごせる学校が一番♪

誰もが、中学受験をするときには上を目指す。

それも間違いではないと思う。

また
通いやすい範囲で、設備環境の整った学校を選ぶ。

それもいいと思う。

長男は、勉強も出来なかったし、人より2年くらい幼い感じだったので
上へ上へと考えることは、早々に辞めた。
というより辞めざるを得なかった。

本当は中学受験だって辞めてよかったのかもしれないけれど
同じ小学校の子との関係もあって
公立中は止めておいた方が良いと考えた。

そうなってしまったのは中学受験を選択した時点で、彼の友達関係は微妙に変わって行ったからだと思う。

共稼ぎだったこともあって、友達もそういう子が多く、
寂しさもあってか、ずっと同じ時間を過ごさないと許さないという依存的な人間関係が低学年の時の長男にはあった。

私が仕事を辞め、彼と彼等の生活にずれが生じ、更に塾通いを始めたことで
小学校1~2年の間にできた、べったりの友達関係が終わったのだ。

そこから虐めが始まったのかなとも思う。
仲間はずれや、ゲームの盗難、罵倒、
まぁ、色々。
長男が鈍かったので、大事(おおごと)になるまで親子で友達と思っていた子がやっていたことに気が付かなかったのは間抜けな話。

まぁ、そんなこともあったし
そもそも中学受験は始めたら、降りれない。
残念ながら。
最後の最後に「やっぱりやーめた」という判断は、そうそう出来るものではない。

でもそうした方が良いこともある。

受かった学校があったら入れてあげたくなる。
それも当然。

でもその選択が本当に良かったのかは、中三になってみないとわからない。
時には高三にならないとわからないこともある。


高校への推薦基準を明示している学校は沢山あると思う。


評点平均がいくつ未満は系列校の推薦できないとか

評点に「1」や「2」があったら推薦できないとか

英検や漢検の条件をつけている学校も多いだろう


入学時に自分の子どもがそんな状態になるなんて誰も考えないとは思う。

でも、この明示された条件は、覆されることはない。

中には、レポートを出したらある科目の評点を甘くつけてくれる、、とか
そういう温情を見せる学校もあるかもしれないけれど
それを込みで進学を考えるのは危険。

結局は先生個人の好き嫌いを含めた感情で成績も動いてしまう可能性が高い。


私学の中には、切るとなったら、バッサリと切ってしまう学校もあるが
進学基準が曖昧な学校は、なんだかんだ上へあげてくれる可能性が高いと思う。
もちろん選択は迫られるけれど。
長男の学校は高校への推薦基準が定められていない。
実際、下位層にいると高校へ上がれると聞くまでは、この成績じゃ上がれなくなってしまうんじゃないかとか
かなり不安が付きまとった。
長男の学年は、募集人数よりも一クラス分多い学年だったので
下位40人はいらないって言われたら、どうする?
って勝手に心配になっていた。
結果的には杞憂に終わった。

高校推薦がてきない場合でも

中学1年から、お子さんはこの学校に向いていません と可能性も何も否定して
切ろうとする高偏差値校もあれば

長男の学校のように成績的にこの高校に残っても、進級が困難であると高校受験を勧め、
授業内容が高校受験には合わないからと放課後の補習を高校受験をする子にするような学校もある。
入学させた責任があると考えるからだ。
この学校の子は高校受験をした子も三月の最後の学校行事へも参加し
友人との別れを惜しんでいた。
問題を起こして推薦がなくなった子ですら、最後まで学校生活を楽しみ、
他校へ進学した後も文化祭には顔を出していると聞く。
卒業目前の行事では、彼の姿に泣く同級生に、
本人が笑顔で みんな、笑えーー、、と声をかけていた姿が印象的だった。

だけどこんな例はおそらく稀で
推薦しないと決めるとあっさりと転校を勧めて追い出してしまう学校もあり、
以前、聞きに行った公立中の説明会では
中3の二学期は私学からの転入生が何名かいるという話だった。
その時の校長先生の話っぷりが
中学受験なんかするから、とちょっとバカにした感じだったのが嫌で
もし中学受験が残念な結果になっても
この公立中には行かない、、と うちは他校への希望を出していた。


中学生というのは
思った以上に不安定で、子ども自身も自分でこうしたいという気持ちをもっていても
どうにもならない精神状態になってしまうことも多いらしい。

親が悪いわけでも、子どもが悪いわけでもないのに
どうしても動けない状態になってしまうことがあるんだと思う。
わかったようなことを言っているけれど本当は私もわからない。
次男がどうとか長男がどうとかではないけれど、
中三のこの時期になるとあちこちで、深刻な話が聞こえてくる。

そんな時、
待ってくれない学校にいると余計に苦しむことになるんだと
友人の話を聞いていて、私もなんとも言えない気持ちになった。

バラ色の未来を描かないと6年生の夏は乗り越えられないと思うけれど
心に傷を残してはいけない。

子どもはがんばるけれど
親は冷静じゃなくちゃいけないと改めて思う。

子どもの幸せは中学受験の結果だけじゃない。
本当に通過点にしか過ぎない。
そこに全力で頑張ることは意味がある。
だけどそれだけにしてはいけないし
子どもには頑張る権利はあるけれど
親には守る義務がある。

成績が上がらない、どうしようって思うかもしれないけれど
それは、親に他の学校も見る機会を与えてくれたのだと思う。
子どもは自分じゃない。
別の人格、別の人生がある。
ずっと親が並走できるわけではないし
その手を離す日は、すぐにやってくる。

自分の足で歩けるよう、
自分の気持ちで頑張って行けるよう、
6年生のがんばりには
ちょっと手を離してやることが必要なのかもしれない。
それで、成績が下がって通うことになる学校が
目論見と違ってもそれでいいんじゃないか、、なんて思う。

学校生活は、その受験の生活が続く。
定期テスト前は、六年生の夏の生活と変わらない。
毎日の生活は、5年生時の塾生活のころと変わらない。

学校説明会なんかではわからない学校の姿
在校生やその親御さんから聞くことも大事。
もし、何かあったとき
あっさりと切り離すような学校なのか
救ってくれる学校なのか
支えてくれる学校なのか
進学実績や学校説明会ではわからないから。



がんばって。
中学受験生。