元学会員で、足軽会の中心者の福岡大祐は、なぜ表舞台に出てこないのか。

これが私のシンプルな疑問です。

川崎学生部の中に結成された独自グループ「足軽会」。
福岡は、あたかも足軽会の信心が特別なものであるかのように「足軽の信仰」などとメンバーに書き送っていました。
福岡が足軽会のメンバーに送ったメールを以前にも紹介しましたが、「足軽を抜けることは絶対に許されない」「(足軽を抜けることを)少しでも認める同志は叩き潰す」などの異常な文面は、まさにカルト。
福岡を敬い、福岡に従う、〝福岡教〟という印象を受けました。
元職員3名の師敵対の言動は絶対に許すことはできませんが、福岡という教祖にたぶらかされたという点では、彼らもある意味、被害者なのかもしれません。

そこで、冒頭の疑問がわくのです。
元職員3名は、先生と学会には反逆してしまいましたが、少なくとも、福岡には今も従っています。尊敬しているはずです。
「実名告発 創価学会」の中でも、わざわざ福岡との出会いに触れ、「福岡さんをはじめとする同志のおかげで、自分を少しずつ変革させていくことができました」(P.227)と感謝の思いを綴っていました。
メンバーのところに押しかけたり、メールや電話で嫌がらせとしか思えない行動を繰り返したり、彼らは福岡の思想、福岡の指導を真っすぐに受け止めて実践してきました。
そして結果的に、3名は本部職員を解雇されました。
自分に付き従って、職を失った後輩たちを見て、福岡は何も思うことはないのでしょうか?
後輩に散々無茶な行動をやらせておいて、自分は表舞台に出ない。
本当に卑怯な人間です。
スペインの作家ティルソ・デ・モリーナ曰く「卑怯者は臆病なればこそ卑怯者と知れ」。
後輩たちの陰に隠れて、安全圏内から石を投げるようなことはせず、言いたいことがあるなら自分で本を出版するなり、ブログを立ち上げるなり、自分の口で主張すればよい。
これからも私は、自分の主張は自分で綴っていきます。