時間経過の面で言えば、人生は間違いなく横スクロール型のRPGのようなもので、また複数の選択が迫られる場面もあるから分岐点も当然存在するわけだけど、この21世紀を歩む私たちは望めば望むほど、過去の選ばなかった分岐の先についても考察することが出来るし、また未来の分岐についてもある程度の予測が出来るようにもなってきているとも思う。
このこと自体が良いことか悪いことは私にはまだよく分かっていない。

最近Twitterをしている中で、米国の大統領選に関するツイートを多く見た。
残念ながら、私は不甲斐ない"アパシー"であるし、政治について、国際的な影響がどうなのか、そして日本にもたらす影響といったことにもあまり興味がないし、知識も見識もないので、個のアウトプットを見ても、ただただ視線が文字の上を過ぎるだけだ。
...私は狭くて暗い、一分一秒の刹那の目の前の自分の人生を過ごすので精一杯だ。

しかしながら、派生して日本を悪く言う人がいると、少し思うところがある。
私は"パトリオット"ではないけれど、そして日本のことが嫌いなわけでもない。
日本はどちらかと言えば好きな方だと思うけど、話を聞いている分には日本の特定の事情について否定的なことを述べている人々の方が弁が立っているように感じる。

例えば長い学生生活と、その後の就職について、日本で博士号を取っても定職に就けないなんて人の話をよく見る。一部の海外諸国では、博士を取ったら相当に優遇されるという情報を見た。

私としては、マジョリティよりも専門的に学識を積んでいる人々なのだから冷遇されるなんていうのはおかしく感じる。
専門知識があるというのもプラスなことだと思うし、論文を書かなければならない以上、相当に物事を考えなければならないし、その力もないといけない。
その上で与えられ、勝ち取る博士号だ。


しかしながら、そんな他人事はどうでもいい。

わたしは、人は、今の在り方を問うのが人ではなかろうか。

随時流行りごとに流される生けとし生きるYoutuberになりたいna.


小学生の頃、夕日恐怖症だった。
小学生の頃の私にとっての幸せとは、友人と遊ぶことだった。私の家庭が厳しかったということはなかったが、どの友人も夕日が落ち暗くなると帰るのだ。橙色の夕日が見え、それが消えると同時に虚無感が生まれるのであった。
夕日が怖かった。


中学生の頃、人生恐怖症であった。
勉学は努力していたわけでもひどく怠慢だったわけでもないがそこそこ出来た。運動神経は悪かったが、体育会系の部活に入って陽の目は浴びることなかれど、最後まで辞めなかった。
深い関係の友達は全く出来なかったが、中学時代を過ごすには困らない程度に遊ぶ友人はいた。

ごくありふれた中学生であったのに、人生というものが漠然としたものに感じていた。人間関係における信頼と裏切りが繰り返されているいることに辟易し、熱中していることもなかった。
人に与える影響がプラスであることよりマイナスであることの方が多いのではないかと思っていた。そして、仮にプラスの方が多くてもマイナスがあってはいけない気がした。
初めて死のうと思ったのはこの時期であったが、死ぬのは大変怖かった。
個の、物理的ダメージや精神的ダメージも怖かったが、簡単に周囲の人の感情に変化を与えることも怖かった。
決して、悲しませてしまうかもしれない、と自惚れているわけでもなかった。


高校生の頃、人間恐怖症であった。
中学生の時より、周囲には魅力ある人がたくさんいた。積極的にいろんな人にアプローチした。
しかし仲が良くなっても、自分が親しいと思ってる友人は、その友人からしてみれば親しくないのかもしれないと思い始めた。精神的にとても脆弱な部分があった。
やはり熱中出来ることはなかった、勉学は落ちこぼれてしまった。

初めての恋人が出来たが、好きではなかった。好きではなかったのだが雰囲気で告白した。勢いだけだったので、すぐ別れた。
(一方的に)本当に好きな人に対しては、好きとは言えないのかもしれない、このことはまだ、分からない。


大学生の頃、普遍恐怖症であった。
ありきたりの 授業、バイト、サークル の日々を過ごしていたが、それらは瞬間瞬間は良かった時もあるが振り返った時に面白みがなかった。
まず勉学が人一倍嫌いだったので、授業は怠い、なんてものではなかった。落とした単位も数知れず。
日常生活で、なんにしても普遍であることが厭だった。人であれモノであれ普遍でないことを好んだ。
しかし、どんな振る舞いも、奇を衒うことは己を格別につまらない人に仕立てると感じるようになり、ついにアイデンティティの確立が難しくなり、感情が薄れ、垢だらけの道化師となった。
思い出はほとんどない。




今は、今は"恐怖症"恐怖症になった。




社交的な人の方が楽しみの拡がりはあるんだろうけどその拡がりを自分は求めてないし性に合わないと思うし(否定してるわけではないしなんなら羨ましさも覚える)、コミュ障って言われようがどうでもいいけど、好きな友人とかとは饒舌に会話し続ける。
人見知りはするほうだけど、コミュニケーションを取らない直接的な原因ではない。

あと、無言の共有が出来る人。
大抵の人はそれを嫌がる。


悲しくも、この人は会話ができないつまらない って印象を持たれるし、それは事実ではあるけどこちらとて心を通じようと思ってないしそういう人に嫌われようがどう思われようが微塵も気にしない。
主観的に見たあとで客観性を意識する人間。
人として好き(なんらかのリスペクト含む)になったら好かれたい。

勘違いする人が多いけど根本的には会話好き。勿論、これはプライベートな話であって要所要所で対処はするけど。


自分自身を主観的に見る
っていう意味深な言葉を考える人が増えればいいのにな。

希薄な人間関係を得るくらいなら孤独、ないしは孤独に近いほうがいい。