式 能 | 瀧光の絵画世界

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水墨画、日本画、洋画など幅広い絵画制作活動をしています。
これまでの人生経験や美大大学院で学んだことをベースに、ブログを書いています。

 U氏より一日ぶっ通しで「能」を観ないかと誘いを受けた。

 U氏とは、会社時代にローマに一緒に出張し、ヴァチカンにおいて「システィーナ礼拝堂天井画」見学をしたことがあるが、古典芸能に詳しく、時々お誘いを受ける。

 私は「能」は好きだが、偶に見る程度で、まる一日持ち堪えられるか自信がなかったが、U氏のお誘いを断ることはできないなと思った。

 詳しい資料がU氏から送付されてきて、それを「式能」ということが判った、


「式能」とは、辞書(日本国語大辞典)で調べると次のような記載がある。
 儀式としての能楽。江戸時代、将軍宣下、勅使下向、普請祝いなど、幕府祝典に江戸城表の舞台で上演された。現在では、能楽協会などの主催の観世・宝生・金春・金剛・喜多の五流による五番立ての催しをいう。



 本年 2月19日(日) 国立能楽堂における 2023都民芸術フェスティバル参加公演 能楽協会主催 第63回式能は、新年を飾るイベントとして行われるもののようで、われわれは、これを鑑賞した。


 「翁」は最初に演じられる特別な能であり、U氏より「翁」だけは10時開演に遅れると入れてくれないので注意してくださいと言われた。

 次の初番目物(脇能・神能)としては「鶴亀」が演じられて、支那の玄宗皇帝の皇居で新年のめでたさを祝って、鶴と亀が舞った。「翁」と「鶴亀」は、今年は金春流が演じた。

 二番目物(修羅物)としては修羅道に堕ちた武将の霊が演じられるが、修羅物としては珍しい、木曽義仲に従った女武者が登場する「巴」が宝生流により演じられた。

 14時20分になって、ここでやっと1時間の休憩が入り、昼食をとる。

 三番目物(鬘物)は、女性が主人公の曲が中心であるが、雪の精を扱った「雪」が金剛流により演じられた。

 四番目物(雑物・雑能)としては他の分類に入らない「葵上」が喜多流により演じられた。

 五番目物(切能)は、鬼や天狗、龍神など主に人間以外の異類が主役となるが、観世流により「鵜飼」が演じられ、閻魔大王が登場して派手な動きで観客を酔わせ、最後を飾った。



 終演は20時頃になったが、私は途中睡魔に襲われることもなく、最後まで集中を切らさずに鑑賞することができた。
 私は遠い学生時代から能に惹かれていたが、やはり本当に好きなのだと判った。
 能の5つの分類が一挙に鑑賞できて、能の全体像が一望できるのも楽しかった。

 そして、現代の映画、アニメなどは演出が過剰で、益々表現がエスカレートしていくばかりである。一方、能は、時代を遥かに遡り、表現を極限まで簡素化して、参加する観客の想像に委ねるという方向性は現代では希少であり、好ましく感じられる。




 四番目物として演じられた「葵上」であるが、2015年8月 相模女子大学グラウンド特設舞台において、第28回相模原薪能(宝生流)として演じられたものを絵にしたものがあるので、次に掲げる。

 「葵上」は、「源氏物語」を題材にしているが、「六條の御息所」の生霊が鬼女となって「葵上」に取り付いて重い病を患わせるのだが、相模女子大学グラウンドにおける巨大なヒマラヤ杉の枝が風で大きく揺らぐ様子が闇の中で照らし出され、「六條の御息所」の心理状態をよく現わしていると思い、感銘を受けた。

 

 


 

 

 

 ブログ「平家納経見返し絵」で次のように述べた。

 わたしは、日本文学においては、万葉集、仏典、平家物語、竹取物語、歎異抄等鎌倉仏教書など中世以前の文学に惹かれている。
 その中でも特に平家物語は、実際に起きた日本史上稀有の歴史大転換が背景となっているのだが、その中で翻弄される人々の生き様を描いており、共感することが多い。

 「平家納経見返し絵」を模写してみて改めて気が付いたが、文学だけでなく美術においても「平家納経」に惹かれるということは偶然とはいえず、自分の中に何か因縁のようなものがあるように感じる。



 「世阿弥」は、今日の「能」の原型といえる多くの能を作り、室町時代に「能楽」を大成して、それが現在に伝えられている。
 すなわち、上記室町時代前の私の関心領域がすべてカバーされており、「能楽」は、これらのエッセンスが詰まっているものと言える。
 そして、二番目物(修羅物)としては修羅道に堕ちた武将の霊が演じられるが、ほとんどが私の好きな「平家物語」が出典である。


 私は「能楽」により、日本画の世界を開いてみたいと思うようになっていた。


 能楽は600年以上も前から演じられてきた演劇であり、その間、安土惣山時代、江戸時代、明治時代、第二次大戦を経て、現在にまで繋がり、ユネスコによる人類の無形文化遺産として認定されている。
 長い歴史による紆余曲折があったかもしれないが、その精神は現在も変わることなく演じられ、能は今も活きていると感じる。