ツアー初日 大塚国際美術館 | 瀧光の絵画世界

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水墨画、日本画、洋画など幅広い絵画制作活動をしています。
これまでの人生経験や美大大学院で学んだことをベースに、ブログを書いています。

 昨年12月に某旅行会社ツアー「瀬戸内アートの旅」に配偶者と共に参加した。

ツアー初日は、待望の大塚国際美術館である。

 

 私は、ブログ記事「画家ミケランジェロ」で次のように述べた。

 

  • 人類絵画史上 1万年前にアルタミラ洞窟画が描かれた後に、ルネサンス期にミケランジェロが出現してシスティーナ礼拝堂に天井画を描いた後、これに匹敵する絵画は描かれていないのではないか。
  • ルネサンス3巨匠というが、ミケランジェロに比較すると、あのダビンチさえも相当劣り、更にラファエロはその下であると思える。しかし、2巨匠は突出しているので追随するに難しく、西洋美術史はラファエロを源流としているようだ。
  • 天井画は動かせないが、もしその一部でも引っ剥がして、ルーブルでもどこの美術館でも持ってきたら、すべての作品は色褪せて見えるのではないかと夢想する。
  • 憧れであり、理想である。しかし、あまりにも偉大な作品であり、参考にするのは困難な存在である。 
  • そして、誤解のないように述べるが、私は絵画愛好者であり、基本的にはすべての人間の描く絵画というものは、その人の個性を見ることができて好きだし、私に大きな影響を与えた偉大な画家も大勢いる。それにも増してミケランジェロの偉大さを讃えざるを得ないということで、他の画家を誹謗する趣旨ではないことをご理解戴きたい。

 

 上記ミケランジェロ観が本当かどうか体感できる場所が実際にあって、それは大塚国際美術館に違いないと思っていた。古代、中世、ルネサンス、バロック、近代、現代と絵画の系統展示が原寸大により観ることができて、また、古代遺跡や礼拝堂などの壁画を環境空間ごと体験することができるからである。

 

 

 先立つ、2022年10月23日付読売新聞書評において、玉岡かおる著小説「われ去りしとも美は朽ちず」が取り上げられた。大塚国際美術館に相当する美術館について「戦後、製薬を中心とした一大企業グループを育て上げただけでなく、人類の至宝ともいうべき名画の数々を陶板に原寸大で忠実に再現して展示する壮大な美術館を遺した人物と、その夢の実現に力を尽くした人々の物語である。・・・」と記載されていた。

 

 

 すぐに買い求めて読了したが、私の関心あるところは次の数行で終わる。

 

 ・・・まず、大きかったのは、バチカン美術館が鴻塚美術財団に独自に著作権使用を許可したことだった。それまではシスティーナ礼拝堂の絵は先に日本の民放テレビ局が得た著作権使用許可にたよっていたため、契約に従えば実物大の復元を作ることができなかった。そのため長く頭を悩ませてきたが、なんと委員長の橘の強力な要請で、一気に解決したというわけだ。(224頁)

 ・・・ともあれ、バチカンの許可は桜木には格別だったはずで、原寸大で復元される天井画と四方を囲む壁画は、まるごと礼拝堂の空気を再現する場となり、この美術館を代表する作品になるはずだ。・・・(225頁)

 

 

 そして、実際にツアーに参加した・・・

 天井画詳細は上記ブログ記事に譲るが、やはり私が予想していたように、ミケランジェロ「天地創造」は規模と質の両面において、ひときわ傑出していると感じた。絵画の質の高さはもちろんであるが、他と比較すると、絵画面積の大きさや櫓を組んで制作されたと言われる絵画位置の高さの印象が特に大きかった。これは物理的に単純比較できるので、判りやすいのであるが、・・・

 

 

 また、大塚国際美術館制作者の意図でるが、「われ去りしとも美は朽ちず」にもあるように、そこにおける展示自体が如実に示していた。つまり、ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂の環境展示は、システィーナ・ホールと呼ばれ、そこが大塚国際美術館の中心であり、シンボルであり、展示スタート地点であり、多くのイベントが行われる広場の役割も果たしているのである。

 

 ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂は一般公開され見学できるが、基本的には宗教施設である。しかし、ここでは、そのような制約はない。写真が展示されていたが、一般の人が結婚式で使うこともできるし、歌舞伎の舞台や将棋の棋戦にも使われていることが判った。また、紅白歌合戦において米津玄師がここて歌ったことも記憶に新しく、彼の描いた絵画も展示してあった。「最後の審判」は、これら俗世界とは別世界の宗教絵画なのだが、すべてに不思議な調和をみせており、特に歌舞伎の背景舞台として格別印象深かった。

 

 「天井画は動かせないが、もしその一部でも引っ剥がして、ルーブルでもどこの美術館でも持ってきたら、すべての作品は色褪せて見えるのではないかと夢想する。」と述べたが、実際に預言者群像のうち「デルフォイの巫女」の原寸大複製原画がインフォメーションコーナーの隣に鎮座していることにも驚いた。高所に展示されているので、地上に降ろして間近に鑑賞できるように計らったのであろう。私は「天地創造」の中で最も預言者群像の部分を好むものであり、「デルフォイの巫女」が飾られていることに喜びを感じたのだが、欲を言えば、「預言者エレミヤ」、「預言者ダニエル」や「リビアの巫女」ならもっと良かったと思うのだが・・・

 

 

 

 

 従って、私の次の関心は、二番目と思われる絵画は何なんだろうかに移った。

 

 システィーナ・ホール入口に、人気作品ベスト10という掲示板があった。それによれば、1位ゴッホ「ヒマワリ」、2位ダビンチ「モナ・リザ」、3位フェルメール「真珠の耳飾りの少女」であり、ちなみにシスティーナ・ホールは8位であった。

 

 日本人はゴッホが好きなので又かと正直思った。私は新宿のSOMPO美術館において「ヒマワリ」の現物を観ているし、修了論文でも論じており、よく知っているつもりであった。

 

 しかし、実際に「ヒマワリ」が展示されているコーナーに立つと私もこの人気投票の結論に同意せざるを得なかった。もちろん、1位は不動で、2位という意味であるが・・・そこには、7点の「ヒマワリ」が飾られていた。つまり、日本で焼失した濃紺の背景のヒマワリまで再現されて、アルルの「黄色い家」に飾ってあった状態で展示されているのだ。

 

 弟テオに宛てたゴッホの手紙のうち該当部分を下記引用する。

  (ゴッホの手紙 岩波文庫中巻 202・204頁)

 

「第五二六信 ・・・僕は今、マルセイユ人がブイヤベースを食べる時のような熱心さで、仕事をしているところだ。僕が描いているのが大きな≪向日葵≫だと知ったら、君は別に驚かないだろう。

 今三枚の画布にかかっている。第一は、緑の花瓶にさした三輪の大きな花で、明るい背景の十五号、第二は、濃紺の背景に種子のあるのと葉を取ったのと、蕾のとの三輪の花で二十五号、第三は、黄色の花瓶にさした十二輪の花と蕾で三十号のものである。最後のものは明るい色が明るい色の上に重なっているのだが、これを一番良いものとしたい。もっと描きこむことになるだろう。

 ゴーガンが僕のアトリエでいっしょに暮らすことを期待して、部屋の装飾をつくりたいと思っている。大きな≪向日葵≫ばかりでね。君の店の隣のレストランに、みごとな花の装飾があったね。僕はあそこの陳列窓の中の大きな向日葵をいつも思い出すんだ。

 この計画を実行すれば、十二点の装飾画ができることになる。全体が青と黄の一つのシンフォニーになるだろう。僕は毎朝日の出とともにその仕事にかかっている。花はすぐに凋んでしまうし、全体を一気に描いてしまわなければならないからね。・・・

 

 

 キリスト教宗教世界や神話世界を描いたルネサンスの巨匠作品を超えて、あるいはダヴィッド「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」やドラクロワ「民衆を導く自由の女神」等歴史画を超えて、「ヒマワリ」が我々に訴えかけるものをもっていることを知らされる。更に、近代では、人物画、風景画、静物画が絵画のジャンルであり、実際に「モナ・リザ」や「真珠の耳飾りの少女」が上位に位置づけられているように、最も印象的なのは人物画である。それに対して「ヒマワリ」は本数こそ多いが、描かれているのは花瓶に活けた花だけである。画題やテーマとしては問題にならないものであり、絵画の号数も小さく、技巧が並外れたものというわけでもない。

 

 「ヒマワリ7点」が展示されているコーナーでは、黄色い向日葵たちの存在が、そこに大きな太陽があるように、圧倒的な光と熱量を放射しているように感じられる。それに惹かれて、そこには自然と人が集まり、大きな人垣ができてきてしまう。

 

 それは、画家の個性という他になく、他に説明しようがない。「ヒマワリ」は、画家の個性というものが絵画にとって如何に大切であるかを教えてくれる。

 

 

 そして、私はゴーガンの視点からゴッホを観ることが多いのであるが、ゴッホの手紙にあるように、この7点の「ヒマワリ」はアルルの「黄色い家」に飾られて、ゴーガンや他の多くの画家が集まってくるのを待っていたのである。そして、実際に参加してくれたのはゴーガンだけなので、このような状態で原画を観ることができたのは、画家ではゴッホとゴーガンだけであったろう。

 

 

 私は、それを踏まえて、グローバルクルーズでアルルを取上げて、ゴッホとゴーガンが一緒に住んだゴッホ「黄色い家」を描いた。そして、それにゴーガン「海辺の騎手たち」を描き加えて、二人の関係を暗示した。二人はお互いに画家としての友情をもちながら、ゴッホは家に定住して、ゴーガンは旅する人であり、耳切事件がなくとも別れる運命にあった。当時のアルルの街並みはそのまま現存するが、「黄色い家」は第1次大戦で焼失してもう絵の中にしかない。「海辺の騎手たち」の背景となるピンクの砂浜は「黄色い家」が炎上している炎ようにも見える。