ある講座が進むに連れ

内容が深まっていき

そう簡単には

理解出来ない場合、

Sさんは

 

質問

質問に対する先生の説明

それってこういう事ですよね?と

今一度自分の言葉にして確認

 

納得がいかないとかわからないと

角度を変えて質問して

自分がわかるまでやりとりをするんです。

 

Sさんらしい理解の仕方。

 

 

Mさんは

わからないことを質問しないで

固まってしまう感じ。

 

そこで先生が

こう言えばわかるかな、と

喩えを変えたりして

かみ砕いて説明。

 

そこで

 

「わかりました」

 

と、

わかってなくても返事しちゃうのよ。

 

顔に「ぜんぜんわかりません」、って

書いてあるのに。

 

案の定

講座修了後

今日は全然わからなかった、と

Mさんがぼやくので

わかるまでSさんみたいに

質問のやりとりをしたらいいのでは?と

やんわり言ったら

質問し難い、と。

 

掘り下げて聞いて見ると

 

わからないのが腹が立つ

(わかるように説明してもらえない)

 

質問し難い

(どこがわからないのか

説明を求められるのが苦しい)

 

と、

他責思考と申しましょうか

先生の教え方が悪い、と言わんばかり。

 

相性があるから

先生の教え方と合わないとしても

そこをすり合わせて

理解する努力としての

コミュニケーションを放棄しておいて

それはないんじゃないか?

 

 

わからなくておもしろくなかったから

もうやめようかな、って

言うのを聞いて

講座の内容に興味があって

ここまでやって来た訳で

躓いたからって

すぐやめようかな、って

もったいなくない???

それでいいのか???

ここ乗り越えてわかるようになったらと思うと

わくわくしないのか???

要はわからない自分を認めたくないという

プライド問題??

 

どうしようかなあ、と

Mさんから

意見を求められたので

 

「楽しめないならやめるのもありだけど

わかる努力してみてからでも

遅くないんじゃない?」

 

言ったのを

こんなことがあって、と

まるで関係ない友達に経緯を話したらば

 

「それって

わかる努力をしてないよね、

っていう

意味だよね。

 

ストレートに言うとキッツいけど

なるほど言い方だね。」

 

言われたのでありました。