実は今

ブログに書いてないけど

(書くのも気分悪い)

会いたくない人がいます。

 

人間関係の輪に

その人がいるので

スパッと会わないでいることが

出来ないけれど

なるべく関わらないよう

会わないで済むようにしているけれど

なんでこっちがそんなことせにゃいかんのだ。

 

こっちの行動が制限されるのも

腑に落ちない。

 

顔見て非常に気分がよろしくないけれど

別に避けなくていいんじゃないか?と言う気持ちと

会って気分が悪いのに

わざわざその場に出る事はなかろうよ、と

いう気持ちのせめぎ合い。

 

 

こんな事にこだわるのもそもそも嫌。

 

しかしその人に

後ろから袈裟懸けに斬られるような

失礼な発言をかまされた不快は消えぬ。

 

それもあるけれど

本人はこっちがダメージを受けた事に

まるで気がついていないであろう

無神経さだから

また第二第三の失礼発言が怖いのか?

 

もしやわたし、

失礼発言よりも

それによって傷つく弱気の虫が

己の中に住んでいるのを

認めるのが嫌なのか?

 

 

しかしそれにしても無礼だった、と

しんねりその事を反芻してしまうのが

我ながら時間の無駄。

人生の無駄。

らしくないわい。

 

 

なんて

ぐるぐる考えていたら

突如ピカッと

これって帳尻が合ってる!となりました。

 

 

例としてざっくりあげると

 

『ひどい振り方を誰かにした

    ↓

数年後

今度はひどい降られ方をした』

 

みたいに

今までの自分の至らぬ振る舞いが

その後返って来てると思える

いくつかの出来事が思い出され、

あれがあれ!!!!!と

なんだか納得。

 

 

今回のも、

わたしが若気の至りで

言っちゃったアレの

帳尻合わせではないかと

思い当たる節が。

 

 

相手がどうこうって事は

いきなりもう

どうでもよくなっちゃった。