西野亮廣。亮廣という名前は、中国の三国志に登場する軍師、諸葛亮から取ったらしい。諸葛孔明の名前の方が分かりやすいかもしれない。
そんな事もあってかどうなのか、西野も「戦略家」というイメージであり、本人もそれは認めているところだろう。
常に、勝つか負けるかという勝負を挑んでいるようだ。そして彼はおそらく勝って来た。いや、私のような一般人で遠く離れた場所から見ている分には、勝っているように見えるが、ひょっとしたら負けている、負け続けて来たのかもしれない。
しかし、西野は決してへこたれないのだ。負けても、なにくそと立ち上がって来た。最初の方に書いたが、西野は、キングコングはデビューしてからすぐさまブレイクした。残念なのは、実力が伴わないままブレイクさせられたという点だ。やがてそれは、「調子に乗っている」と見られるようになる。番組が終わり、「ざまあみろ」と思われる。
ところが、戦略家の西野は、それも見越して、絵本という新たな挑戦を始めていた。芸人が絵本?という点でまた叩かれる。しかしへこたれない。
結局世間は、実力もないのに若くしてブレイクした人間を、打ちのめしたくて仕方ないのだ。お前みたいなもんはもっと苦労しろと。泥水をすすれと。ようやくその機会がやって来たのに、何故、絵本に逃げたと。芸人なら、お笑いの道で勝負しろと。それでも西野は、そんな事はどこ吹く風で。
自分の信じた道を、自分が勝てる道を進み続けた。
では、逃げたと見られる芸人としての西野はどうなのか。
吉本の舞台には、キングコングとして立ち続け、西野個人は、「ゴットタン」というTV番組などに出演することもある。漫才も、TV番組も実力不足と言われるようなものではない。むしろ、しっかりお笑い芸人している。普通であれば、「なんだ、ちゃんと芸人もしてるやん↑」と見直されてもいいところなのに、「なんだ、ちゃんと芸人もしてるのかよ↓」と、若干落とされる。まったく理不尽な事であり、理解に苦しむ状況を彼は作り出してしまう。
ただ、ここまで書いて来てなんとなく分かったこともある。西野は、自分が勝てる道を進み続けて来た、ということだ。彼は「エンターテインメント」と口にする。「お笑い」でも「絵本」でもない。「エンターテインメント」の中に、それらは含まれるのだ。ありとあらゆる事が詰め込まれいるクレーンゲームみたいな物の中から、あの人形なら今獲れそうだな、あっちのぬいぐるみなら今獲れそうだな、と、獲れる物を目標にしている。結果、一個のぬいぐるみだけを狙ってお金を注ぎ込んだ者より、気づけば沢山の景品を獲ることができているのだ。
さて、数回に渡り、長々と西野亮廣について個人的な考察を書いてきたが、今回のところはこれで一旦終わりにしたいと思う。今後また数年で、西野は色々と話題を提供してくれることだろう。その時にはまた、書いてみたいと思う。
読み返してみて、大事な事を書き忘れていた。何故、西野亮廣はここまで叩かれ、嫌われるのか、私の個人的な見解。それは、彼の「顔」が原因です。
次回は、とんねるずについて。