口で絵を描き始めて約5年。
絵を描くことは自分の生きがいの一つで、自分の頭の中で「想像×創造」を繰り返し、没頭することで自身が救われてきました。
この度このような個展という形で多くの方々に観て頂けることは大変光栄な事でした。
今回の主催の方々、いつも支えてくれた家族や事務所関係者、ファンの皆様に感謝しかありません。
今年2024年は、パリオリンピック、パラリンピックが開催されますが、
僕なりに盛り上げていきたくて、絵にはパラスポーツの全22種目の絵を描きました。
それを障害者スポーツ文化センターにも展示されたということで多くの方にも観て頂けました。
絵に込めた思いは…
まず根底に、絵も絵本もお芝居も、すべての芸術的エンターテイメントは「想像と創造において自由で多様性の象徴になるべきもの」だと思っています。そんな中で僕は、人が「生きる」ということを考え続けています。「生きるのは存在することではなく創造すること」だと思います。
それは、常に何か新しいこと、何ができるのかを追い求める姿勢。
『想像』と『創造』のサイクルを繰り返すことで、人は『生きる』ことを実感できると思っています。
それがスムーズにできる社会が僕の理想で、僕が考えるインクルーシブな社会は、個人の創造の可能性に対して、適切なエネルギーが供給される社会。
特にその力が豊かな未来ある子ども達は歳をとって大人になっていくにつれて、見える色や感じる味が変わってきます。
僕たち“障害者”という、概念の枠にはまらない存在から、何を感じるかなんて、それはさまざまで、ピュアでユーモアがあって、ときに残酷で、ただそれが真実なんだと思います。
絵は動きません。歳をとりません。
だからこそ、人は自分の頭の中で絵を動かし、豊かな『想像力』が育まれると思います。
だから観覧者の感性が変わるほどに見え方も何通りにも変わります。
「現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと」そんな「想像」は、「創造」の出発点です。今まさに時代の変化のスピードが加速し、色んなものが進化開発され、「想像」と「創造」の距離が縮まり、未来を創る速度が急激に変化しています。
自分自らが未来創造に参加できる社会。だからこその「想像×創造」さえあります。
未来には正解も不正解もありません。自分達の生きる新しい未来は、自身の手で新しく創造することだってできるんです。
だから、こうなんだと伝えたり、教えることよりも、まず大切なのは自分自身が感じることであり、そして多角的に考えてほしいと思っています。
僕の絵にかけてきた5年間の想いは、誰にも負けるつもりはないですし、この夢に向かって突っ走ってきた5年間は奇跡で僕の誇りです。
何度も跳ね返され、一時は駄目かもしれないと下を向きそうになったこともありました。でも諦めませんでした。
人は何度躓いても何度でも這い上がれるんだということを、今様々な障壁にぶち当たり闘っている方々へ、また今の僕自身にも身を持って証明したかったんです。
だから、この作品展は僕の「魂」と「誇り」で、まさに僕自身でした。
絵の中身に関して言わせて頂くと、
まず、僕の絵のテイストがキュートなのは、僕の内面の可愛らしさが出ているのかもしれません笑。
(ある俳優仲間に、外見はごっついライオンだけど、中身は繊細なウサギだよね。と言われてました。)
そして、僕の絵には一つの象徴として『りんご』が所々に描かれています。
りんごというモノへの概念も自由ではありますが、
りんごは、アダムとイブが食べた禁断の木の実がリンゴと考えられているように、
古くから知恵・不死・美・愛などのシンボルとして知られており、神話や伝説にその反映が見られます。
りんごは僕が出版した『ボッチャの大きなりんごの木』の主人公ボッチャの好物で、ボッチャに生きる希望を与えてくれたモノです。
そんな「りんご」を描くようになったきっかけは、亡くなった父親が、生前大阪から突然見舞いに来てくれた時、病室に「りんご」を持ってきてくれたんです。多くを語らない父ですが、そのちょっとした気遣いが嬉しかったんです。父が帰った後、テーブルに置かれたりんごを見て一人涙を流しました。ただその反面、その父の想いが足枷と感じてしまうこともありました。重圧になってしまったり何も返せない自分が苦しくもどかしくもなり、自分を責め続け、前へ進めなくなることもありました。
僕が退院後に一人暮らしをしたいと意思表示をした時、母親は「大阪の実家に帰ってきなさい。」と、仕事再開時も「体に負担がかかるでしょ。やめておきなさい。」と、いつも生き急ぐ僕の背中を優しく引き止めてくれました。対して父は「そうか。そのかわり二度と大阪に帰ってくるな。」「英治の人生だからやりたいようにやれ。お前はここで腐る人間じゃない。」と叱咤激励をして、いつも生き急ぐ僕の背中を強く押してくれました。僕の″体″を心配してくれた母と、僕の″心″を心配してくれた父。
僕にとっての真っ赤なりんごは、情熱的な父と冷静な母の、両極端な『愛』なのかもしれません。
ただ、その愛すらも己次第では、活かすも殺すも、プラスにもマイナスにもなり得るものだと感じます。
人生は大なり小なり思うようにならない事ばかりです。ただ多くの困難があるからこそ、それを乗り越えようと人は努力するし、人は変われます。その壁を乗り越えた時、自分が気づかないうちに成長してるはずです。そこに希望があるから人は強く前へ踏み込めます。
僕はそんな困難(足枷)こそも、自分に課された試練であり、自分をより高め、新しい新境地へと目醒めさせてくれる『愛』なんだと思っています。
そして確か、初めて口にペンを咥えて描いた絵が「りんご」の絵でした。
因みに、これは後から思い出したことですが、
僕が事故に遭った時にドラマで演じていた役柄の″福富寿一″の好物が「りんご」という設定だったんですが…
それも何かの運命を感じました。
個展のタイトル『口火』に込めた想いは、
口火とは爆薬を大爆発させるためにつける為の小さな火。転じて、物事の起こるきっかけ・原因のことです。
つまりダイナマイトほどの大爆発させるための小さなマッチの火。
僕が動くことは小さな小さな一歩かもしれないけれど、大きな一歩へと繋げていきたい。
それは誰しもに潜在してる未知なる力、人の可能性は無限にあります。それを活かすも殺すも自分次第。信念と勇気が必ず自分と周りを救ってくれます。
障害という壁にぶち当たっても僕たち自身も戦力になれるんだと、古い習慣により柔軟性に乏しく凝り固まった価値観をもつ世の中や物事などに、力を合わせて新鮮な風(新たな価値観)を吹き込みましょうというメッセージを込めました。
さらに僕は事故で手が使えなくなりました。手が使えないなら足を使えばいい。足が使えないなら口を使えばいい。口が使えないなら鼻を使えばいい。鼻が使えないなら何が使えるかその都度考えればいい。人間の可能性は無限にあるはずです。それを活かすも殺すも自分次第。
僕はたまたま口が使えます。その口から生まれた僕の小さな希望の火が少しでも世の中を明るく照らせることができたらと願っています。
僕は確かに失ったものはとてつもなく大きいです。けれどまだまだ使えるもの、できることはたくさん残されています。
残されたものを最大限に活かし、自分自身の未来を信じてあげることが僕の使命だと感じています。
健常者、障害者関係なく、自己研磨、自己表現がもっともっとできる世の中へ…
多様性への理解を切望しています。
では
またいつか皆様に笑顔でお会いできる日を心から楽しみにしています!
滝川英治
※由紀さおりさんに個展を紹介して頂きました。
有り難うございました!